モンテフリオ (2010)     油彩 / 20F
モンテフリオ (2010)     油彩 / 20F

画廊通信 Vol.259            郷愁の温度

 

 

 斎藤さんとのお付き合いは、優に30年を超える。その間画家の手にする筆は、私を欧州の様々な場所へと導いてくれた。むろん、それは「斎藤良夫」という画家の目を通した風景であったから、あくまでも作者の内的なフィルターが抽出した、一個人の心象としての欧州であ

った。でもそれ故にこそ、私は世の誰もが目にし得なか

ったであろう、特別な風景を目撃出来たのだと言える、

往々にして優れた芸術家の絵筆は、現実の風景を遥かに

凌駕する、或る昇華された世界を描き出すものだから。

 城門へと到るリスボンの坂道、路地の裏窓を飾ってい

た深紅のゼラニウム、寂れた農家の佇むカステロ・デ・

ヴィデの荒野、貧しい集落を彩るバーントシェンナの屋

根、カサレスの丘陵を埋める白壁の家並み、モンテフリ

オの高台から望むアンダルシア平原、彼方にアルハンブ

ラが覗くグラナダの街路、朽ちた扉の奥に明かりを灯す

夕暮れのバール、残照でオレンジ色に染まるトレドの古

い石壁、アラゴンの高原に尖塔を浮かべる城砦、幾星霜

を刻んだ壁が続くシグエンサの路地、建ち並ぶ家屋を縫

って伸びるアルバラシンの迷路、街道沿いの荒原に揺れ

ていた無数のポピー、ゴヤの生家を訪ねたフェンデトー

ドスの丘、雨上がりの大気が香る石畳の濡れた小路、そ

して遥かにグアダラマ山脈の霞むイベリアの大地……。

 かつて目にしたポルトガルからスペインにかけての取

材作品、そこに描かれた風景を思い付くままに並べてみ

たが、記憶に残る光景はまだまだ尽きないようだ。この

ままフランスやイタリアまでその逐一を記していたら、

それだけでこの頁が埋まってしまいそうなので已めてお

くけれど、やがて見る人はそれら膨大な作品群の中に、

たとえどの地であろうとも等し並みに感じられる、或る

共通した存在を見出すに違いない。それはそのまま、斎

藤さんの風景を正に斎藤さんたらしめている、画家の特

質とも、延いては本質とも言えるものかと思われるが、

これまでに見て来た限りにおいて、それは2つのファク

ターに集約されるようだ。一つには「人」である。とは

言え、それが実際に形を取って描かれる事は稀なので、

ここで言う「人」とは詰まるところ、人の「息吹」であ

り「気配」であり「匂い」である。ご存じのように、斎

藤さんが好んでテーマとする街路や街角には、都市の雑

踏を主題としたような作品は例外としても、通常はほと

んど人が描かれない。それでも不思議な事に、それが決

して「無人」と感じられないのは、そこに濃厚な人の気

配が在るからだ。描かれずとも絵の前に立つ人は、そこ

に確かな人の存在を感知して、絵の中の諸処に人を思い

描く。言うまでもなくこの場合の「人」とは、巧みな暗

示によって引き起こされた仮象なのだが、この「暗示」

という高度な手法を駆使するに当たって、画家が強力な

媒体として用いる素材が、即ち「壁」である。この斎藤

さん特有の「壁」無くして、そこに人は生起しないだろ

う。以前にも掲載した事があったので、繰り返す事にな

るけれど、以下は斎藤さんの言葉を纏めたものである。

 

 時間の染み込んだような壁、幾度も塗り替えられなが

 ら、何百年にも亘って人間の営みを見続けて来た壁、

 そんな古い壁に魅せられます。壁の前を通り過ぎて行

 った、無数の人々が居るでしょう。ある時は恋人同士

 だったり、ある時は友達同士だったり、子供を連れた

 家族だったり、年老いた夫婦だったり、そして喧嘩を

 したり笑ったり、酒を飲んで騒いだり、辛い別れに涙

 したり、そんな市井の人々の数え切れない営み……。

 心温まる事も愚かな事も、全てを黙って見て来た名も

 無い路地裏の壁、そこに刻まれた目に見えない時間の

 温もりを、少しでも描く事が出来たらと思うんです。

 

 文脈からも分かるように、ここで画家の言う「時間の

温もり」とは、幾星霜にも亘って続けられて来た人の営

み、その無尽の集積を意味している。よって画家の用い

る「時間」という言葉には、分かち難く「人」が関与し

ている、まるで表裏一体の如くに。斎藤さんにとっての

「時間」とは、言わば「人」の異名に他ならないのだ。

 上述した画家の言葉に関連して、この辺りで荻須高徳

(1901~1986)という作家について、少々触れておきた

い。荻須もまた「壁に魅せられた」画家であり、故に斎

藤さんと共通するモチーフを数多く描いた事から、両者

の作風を比較対照する事で、より斎藤さんの特質を炙り

出す事が出来ると思うからだ。かつて「パリに生き、パ

リに死す」と謳われた通り、荻須は美大卒業後に渡仏し

て以降、生涯のほとんどをパリで過ごした画家である。

よって作品の大半はパリに取材した風景画であり、傾向

として華やかな観光地や名所旧跡よりは、寂れた市井の

陋巷を好んで描いたという意味では、斎藤さんと同じ視

線を持つ作家と言える。特にセーヌ右岸の3区から4区

にかけて広がる、ル・マレと呼ばれる古い地区を良く散

策し、渋く重厚な街景を描いた事で知られる。私がこの

世界に入った1990年辺りは、未だフランス版画の流

行が残っていた頃で、荻須が晩年に刊行した数々のリト

グラフも、かなりの高値で取り引きされていた。よって

当時の大方のファンがそうであったように、私もまた荻

須との関わりは版画を通してであり、後日目黒美術館で

開催された「荻須高徳展」を見るに及んで、やっとその

油彩表現の本質に触れる事が出来たのだった。2001

年の事なので、そろそろ四半世紀が過ぎようとしている

が、あの時絵を見る中で明瞭に掴み得た感懐は、今も鮮

やかに脳裏で甦る。幾多の街路、建物、街角、その執拗

とも言えるヴァリエーションを見てゆく内に、ああ、こ

の人は「壁」を描きたかったんだなと、ごく自然にそん

な思いに到ったのだが、それは技法の性質上、版画では

決して見えなかった重点であった。骨太の筆致を重ねる

事で生み出されるマチエール、それはそのまま「壁」そ

のものが醸し出す質感に直結する。そのザックリと引か

れた筆跡、時に荒々しくさえある油絵具の擦痕は、現実

の壁が孕む時の風化による刻印を、見る者にまざまざと

感じさせて已まない。古い石壁の物質感、その連続が造

り出す建物の量感、それらの圧倒的な表現に囲繞されつ

つ実感した事は、結局荻須という画家は「壁を通して」

何かを描きたかった訳ではない、文字通り「壁」を描き

たかったのだ、という一点だ。だからそこに「人」は居

ない、動くものの無い街角で、時に侵蝕された物言わぬ

壁だけが、いつまでも峻厳な傷痕を晒して佇んでいる。

 

 斎藤さんの「壁」──それは荻須のある種質朴な画法

と比較すると、かなり多様な相貌を見せる。荒ぶる筆跡

がそのまま残される事もあれば、数ミリにも及ぶほど厚

く塗り重ねられていたりもする。また、凹凸の際立つテ

クスチャーの上から絵具が掛け流されていたり、ペイン

ティングナイフで勢い良く削られていたり、或いは滑ら

かな絵肌が穏やかな色相を浮かべていたり、時にはその

上に洒落たコラージュが施されていたりと、画面の上で

繰り広げられる制作上の葛藤が、多種多様の表情を生み

出して眼前に展開されるのである。ただ、それらがどん

なに多彩なヴァリエーションを見せようと、そこには一

様に或る顕著な特質が貫かれている事に、見る人はいつ

しか気付かされるだろう。それは「温度」である。荻須

の壁が、時に冷たい程の印象を齎すのに比べて、斎藤さ

んの壁はあくまでも温かい。これは、荻須が描く対象の

殆どをパリという都市に求めたのに対し、斎藤さんがそ

の対象を、スペインやイタリアの辺境にまで及ぶ、広範

な地域に求めた事にも起因するものと思われるが、それ

よりも更に根本的な要因として挙げられるポイントは、

斎藤さんが壁という無機的な素材の奥に、人の営みとい

う有機的な現象を見ていた事である。無数の営為が延々

と集積された歳月、その長い時間の刻印として壁を見る

時、そこには自ずから、或る種の体温が宿るのだろう。

だから、たとえそれが激しい筆致を見せる事があったと

しても、その奥には必ず人の営みが潜む事から、総じて

斎藤さんの壁は繊細であり、時に峻厳な表情を見せる荻

須の壁に対して、常に柔らかな情趣と温もりをその肌に

湛える。今、このような「壁」を描き得る画家が居るだ

ろうか。描かれずともそこには人が居る、息吹として、

気配として、匂いとして。そしてこの描かずに暗示する

手法が、却って見る者の想像を広げ、かつて壁の前を通

り過ぎて行ったであろう、幾多の人々を浮かび上がらせ

る。やがていつか私達は、彼ら名も無き人々が営々と積

み重ねた、幾星霜もの「時」に想いを馳せるのである。

 

「人」というファクターに関して、長々と記してしまっ

たが、以下はもう一つのファクターについて。地を生き

る象徴として「人」を位置付けるとしたら、もう一つの

ファクターはその対極としての「空」である。その多く

は、建物の狭間からわずかに覗いていたり、路地の上方

の限られた空間に、垣間見える程度に過ぎないのだが、

何故かしら見る者は、そこに雄大な空を思い描く。これ

は、まずは作家の巧みな暗示ゆえの効果なのだが、同時

に「斎藤良夫」という画家が持つ、特有の匂いでもある

のだろう。20代で渡欧して南欧の各地を廻り、キャン

バスを背負って荒野の道を歩いた、それから幾度となく

各地に点在する街々を訪ねては、帰るべき心の故郷を描

き続けた、その幾歳月にも亘る天涯への憧憬が、えも言

われぬ郷愁となって作品から香り立つ。だから私は斎藤

さんの絵に、いつも遥かな想いを感じる。あまりそのよ

うな体験はないにしても、茫洋と見晴るかす大地を前に

して、抜けるような大空を振り仰いだ時の、あの雄大に

して遥かな想いだ。それはきっと、狭い島国の感覚では

ない、ユーラシアの西端に位置する欧州の、ことに色濃

く土の香りを湛える南欧の、広大な大陸の感覚なのだと

思う。その地を、一人キャンバスを背負って歩いた青年

の、そして今でも心の中にキャンバスを背負って歩き続

けている一人の画家の、長く果てのない旅路から香り立

つ遥かな旅愁が、振り仰ぐような郷愁が、画面のそこか

しこから津々と尽きる事なく滲み出す。私は斎藤さんの

作品が等し並みに湛える、そんな遥かな匂いが好きだ。

 

 あらためて斎藤さんの描く地は、私の故郷だと思う。

あの荒涼と赤茶けた大地に佇む、うら寂れた貧しい集落

こそが、幾度も帰り続け立ち戻るべき、私の内なる故郷

である。長く付き合わせて頂き、幾多の作品を目にする

内に、いつの間に彼の地は私の中で、故郷として定着し

てしまった。だから斎藤良夫展を迎える度毎に、ああ、

またここに戻って来たな、と思う。そこには会わずとも

懐かしい人々が居て、彼らは見えない姿のままに確かな

息遣いで、遠い日の物語を訥々と語り出す。振り仰げば

雄大な郷愁を浮かべる天空が、見晴るかす大地の果てま

で広がり、それは荒野の寂寥を茫洋と映し出して、悠久

の詩情を湛えて尽きない。ふと見れば、諸処が剥落した

目前の石壁は、えも言われぬ濃厚な赤褐色に染まってい

る。これは絵の前に立つ人の後方、遥かな地平に今しも

沈まんとしている、巨大に滾る落日を暗示する。今日の

最後の光彩を、高原の彼方より強烈に放ちながら、夕陽

は地上の有りと有るものを、一様に赤々と染め上げてゆ

く。しかし、辺境の集落に夜は来ない、止められた時の

中で、イベリアの大地はいつまでも暮れなずんでいる。

 

                     (24.08.30)