画廊通信 Vol.257 虚構の領域
今回の展示会タイトルに使わせて頂いた「キュー・ガ
ーデン=Kew Gardens」とは、ロンドン南西部のキュ
ー地区に位置する王立植物園の呼称で、世界で最も著名な由緒ある植物園として知られ、ユネスコ世界遺産にも登録される施設だ。河内さんの新作が、昨年に引き続いて、今年も「植物」を主要なモチーフとする事から、新作群を一つの植物園と見立てて、そこに件の植物園の名称を拝借した訳だが、それに当たって「Kew」を「Q」に置き換えたのは、かつて村上春樹が自らの長編小説に「1Q84」というタイトルを冠した事と、同じ理由による。よく知られているようにこのタイトルは、ジョージ・オーウェル (1903─1950, イギリスの小説家)の代表作である「1984年」のパロディーなのだが、小説
が現実の世界とは異なるパラレル・ワールドを舞台とす
る事から、奇妙・不可思議・不可解といったイメージの
象徴として、作者は意図的に「9」を「Q」に置き換え
た訳だ。村上春樹は作中で、主人公の女性にこう語らせ
ている、「Qはquestion markのQだ。疑問を背負った
もの」──今回の「Q・ガーデン」という表記もまた、
それに同義である。手前味噌ながら、河内さんの別世界
を的確に表象する、誠に心憎いネーミングではないか。
タイトルの自讃はこの位にして、案内状の掲載作品に
ついても少々触れておきたい。「奏楽堂」と題された新
作で、作者によると絵の中のドームは、名古屋市内に実
在する建造物との事、手っ取り早くネット上の資料に当
たると、こんな由来が出ていた──「鶴舞公園奏楽堂:
1910年に建設されたルネッサンス風の円形舞台。ド
ーム型の屋根を備え、手すりには楽譜が象られている。
1934年、室戸台風により崩壊したが、1997年に
現在の形状に復元された」という訳で、百聞は一見に如
かず、実際の建築も右に掲載しておいたが(ここでは省
略)、この写真と案内状の掲載作品を見比べて頂ければ、
河内良介という稀有の芸術家が、現実のモチーフを如何
に自らの世界へと創り変えるのか、その実例を在り在り
と目撃する事が出来るだろう。怪しげな植物が勢い良く
繁茂する舞台、そこからニュッと突き出した巨大なホー
ンスピーカー、その音楽に合わせて踊るバレリーナ、諸
処を我が物顔に飛び跳ねるカンガルー、舞台の中央には
自転車に乗って浮遊する紳士、周囲を奔放に飛び回るペ
ンギン、空に宙吊りになった空中ブランコ等々、それら
の互いには無関係な種々のキャラクターが、縦横に組み
合わされる事によって、公園に設置されたレトロな音楽
堂は、自在なイリュージョンを軽やかに繰り広げる、不
条理の漲る劇場へと変貌する。更には、現実の色彩が悉
く消去され、実在しないモノクロームの風景に転換され
る事で、方形に区切られた窓枠=境界の向こうには、よ
り幻想的な異次元の時空が現出するのである。こうして
私達は奇想天外の白昼夢を目前にする、そう、ここは絢
爛たる虚構に満ち満ちた世界=麗しき「Q・ガーデン」
の領域なのだ。
「虚構」について。大江健三郎は、実生活を基にしたと
思われる小説を何篇も書いているが、それらの執筆に際
して、後日興味深い回想を語っている。その一部を抜粋
してみると──「自分の作ったフィクションが現実生活
に入り込んで、実際に生きた過去だと主張しはじめ、そ
れが新しく基盤をなして、次のフィクションが作られる
事となった」「私は息子との共生を描いたある小説に、
現実とは違うあからさまなフィクションを導入したが、
それが実際の記憶よりも生々しいリアルな存在を主張す
るようになった。まるで文学的なアルツハイマー症にか
かって、自分がこれまで文章に書いたもののうち、その
どれが事実にそくし、どれがそうでないのかの、見分け
が付かなくなったかのようだった」「ある長篇の執筆で
最もリアリティーに満ちた手ごたえがあったのは、主人
公として作り上げたフィクションの人物だった。私は小
説を書きながら、もっとも正直な私小説の作家のように
して、──私はこのように生きて来たのです、と彼と共
に主張したい思いでいたのだった」「表現するとは、端
的に新しく経験すること、経験しなおすこと、それも深
く経験することだ」。これらの言説を咀嚼してみると、
大江健三郎という作家が小説における「虚構」をどう捉
えていたのかが、ある程度見えて来るように思える。お
そらく大江健三郎にとっての虚構とは、実生活と区別が
付かなくなるほどの、内なる経験の謂なのではないか。
私達の言う経験とは、もちろん実生活における現実の経
験を指す訳だが、小説家の言う経験はそうではない、そ
れは「小説を書く」という経験そのものを指している、
そしてそれは小説家にとって、時に実生活という現実を
遥かに凌ぐ経験なのだ。つまりは自らの小説の中で、時
には主人公となり、時には主人公と共に生きる、それこ
そが小説家にとっての、最もリアリティーに満ちた経験
なのだろう。そう考えてみると小説家の「虚構」とは、
長い時間をかけてその作品と向き合いながら、共にその
時空を生きるという経験の中で醸成された、もう一つの
「現実」に他ならないのだと思う。画家もまた、同様で
あろう。そう言えば前述した「奏楽堂」の制作に関して
「4ヶ月もかかっちゃいました。その間、これにかかり
っきりで……」と、作者は先日電話口でぼやいておられ
た。つまり河内さんは4ヶ月の長きに亘って、日夜この
作品と共に生きて来られたのだ、ならばその作品が如何
に虚構を描いていようとも、画家にとっては歴としたも
う一つの現実であったに違いない。架空の世界でありな
がらも、何かしら奇妙なリアリティーを湛える画面は、
正にそれ故のものであろう。私事になるが、この画廊通
信を書くに際して、私自身もそれに近い経験をした事が
ある。詰まらない話だけれど、少々お付き合いの程を。
2年ほど前の話になる。或る個展に寄せた画廊通信を
書くに際して、私はまず「永遠に朝の来ない街」という
イメージを設定し、それに関連して何かを書けないかと
思った。その画家の描く夜の街景がとても魅力的で、今
回は是非それを主題にしたいと考えたからである。さて
話の糸口を、何処から持って来ようかと思案している内
に、ふと以前に読んだ「見えない都市」という小説を思
い出した。イタロ・カルヴィーノ (1923─1985, イタリ
アの小説家) の代表作として知られる作品で、古の冒険
家マルコ・ポーロが、長年をかけて巡って来た様々な都
市の様相を語るという、一種の見聞録として構想された
物語なのだが、この小説の特異な点は、次々と語られる
50数例にも及ぶ都市の全てが、実際には在り得ない虚
妄の街である事だ。つまり、作家の妄想が生み出した奇
妙奇天烈なデタラメに、読者は延々と付き合わされるハ
メになる訳だが、思うに馬鹿げた絵空事もそこまで徹底
されれば、嘘八百も優れた文学に成り得るのである。こ
れらの絢爛たる架空都市群の中に、確か「永遠に朝の来
ない街」ぐらいは出て来た筈だと、疾うに物語の細部は
忘却しつつも、私はそう踏んだ訳だ、何しろ「深い地底
の湖上に建つ数千数万の井戸を備える都」とか「壁も天
井も床もなく縦横に錯綜する水道管だけで造られた街」
等々、そんな在りもしない都市がこれでもかと登場する
訳だから。ところが幾らページをめくってみても、一向
に朝の来ない街は見当たらない、これは困った、という
事になった。これでは話が始まらないではないか……と
暫し思い倦ねていたら、不意に「探しても無いのなら、
創ってしまえばどうか」という、誠に良からぬ策略が浮
かんだ。そう、有った事にして「永遠に朝の来ない街」
の物語を、創ってしまえば良いのだ。ただし、その場合
「カルヴィーノ」という作家名は使えないから、作家も
同様にでっち上げなければならない、これは禁じ手かも
知れないが、こうなったら破れかぶれ、どうせ画廊通信
なんて十人に一人も読んじゃいないのだ、ええい、やっ
ちまえ、という事になって、私はこのように書き始めた
──「H・ウィルダーノと云う小説家を知る人は、今や
ほとんど居ないだろう。私自身、学生の時分に都内へ出
た折りに、たまたま迷い込んだ路地裏の小さな古本屋で
百数十円程度で手に入れた文庫本が、その稀有な作家と
の出会いだったが……」云々、こうやって話を繋いでゆ
く内に、ウィルダーノは20世紀初頭、イタリアの小さ
な街で酒にまみれた懶惰と無頼の生涯を送り、生前たっ
た一冊の短篇集が刊行されたきり、貧困と不遇の内に短
い一生を閉じた、という作家像が出来上がった。「月に
憑かれた街で」というのがその短篇集のタイトルで、物
語の舞台となったのが架空の街「レヴィータ・ディ・ヴ
ァレージオ」である。まず魅了されるのがこの街の描写
なので、せっかくだからその一部を抜粋してみよう、以
下は第一話「月に酔う」から……と記した後、ウィルダ
ーノによる「永遠に朝の来ない街」の魅力的な描写とや
らを、私は30数行に亘って書き連ねた。続けて本題に
入り、個展画家の描き出す夜の街景とのアナロジーをひ
としきり論じた後、エピローグとしてしたたかに酔った
ウィルダーノが、手回しオルガンで古い恋唄を奏でなが
ら、いとも楽しげに底知れない崖下へ転落するという、
劇的な最期を書き終えた頃には、私の中でウィルダーノ
という悲運の作家は、もう「虚構」なんてものじゃなか
った。乱れた頭髪と酒にやつれた無精髭の相貌が、有り
有りと脳裏に浮かぶほど、それは「現実」だったのであ
る。その時の画廊通信は、確か4~5日をかけて書いた
ものだったが、そんな短い期間でもそういった感覚に陥
るのだから、一点の作品と4~5ヶ月を共にした画家が
どのような心境に到るのか、それはもはや言を俟たない
だろう。そう考えると、芸術家にとって「虚構」という
言葉の意味するものは、私達が通常「現実」の対義語と
して用いているものとは、凡そ違うものだ。おそらくそ
れは「虚構」↔︎「現実」と単純に分けられる概念ではな
い、作家にとっての虚構とは内なる現実に他ならず、そ
れはもう一つの、紛れもないリアリティーなのだろう。
閑話休題、話が長くなった。河内さんの世界について
もう一つ追加しておきたい特徴は、それが全体的には虚
構であったとしても、構成要素としての「部分」は全て
現実であるという点だ。つまり河内さんは、ダリのよう
に時計をグニャリと折り曲げたりとか、海の表面を捲り
上げたりといったような、現実には無い事象は一切用い
ない。登場するモチーフは全て実在する物であり、それ
らを意想外に組み合わせる事によって、初めて画家特有
の虚構が現出するのである。即ち、種々の図版や写真を
組み合わせて創り出す「コラージュ」と、その手法は軌
を一にする訳だが、通常は「切り貼り」によって制作す
るところを、河内さんは精妙な「写実」でその一々を描
き出す。よってその世界は虚構で有りながらも、まるで
小さな窓の向こうに、別世界が確かに存在するかのよう
な、不思議な現実感を伴うのである。今回新たな作品群
と向き合う時、その世界が如何に奇想に満ちたものであ
っても、今やそれらが単なる虚構では無い事を、私達は
知っている。そこが画家の創り出したパラレルの現実で
あるのなら、その世界を散策する者もまた、唯の仮想世
界に遊ぶ訳ではない。私達はいつか未知なる領域へと分
け入るだろう、そこは心ときめくあのQ・ガーデンの異
空間、虚構と現実の軽やかに融け合う場所なのである。
(24.07.06)