画廊通信 Vol.250 仰ぎ見る人に
画家の早逝からいつしか15年の歳月が流れ、佐々木和展は今期で遂に10回目を迎えた。内、画家が存命であったのは4回展までで、以降は全て遺作による回顧展である。享年は58歳であったから、いつの間にその年齢を随分と越えてしまったけれど、私の中ではいつにな
っても、佐々木さんは尊敬すべき先達のままだ。顧みれば、佐々木さんとの交流は決して長いものではなく、初めてお会いしたのが2005年の秋だった故、それから2009年の秋に逝去されるまで、その実質は4年にも満たない。しかし画家の手になる作品との付き合いは、早18年になんなんとしている訳だから、これは決して「短い」とは言えない期間かと思う。上につい「尊敬すべき」云々と書いてしまったが、もしご本人にそんな言い方をしたら、間違いなく「アハハ」と笑って取り合わ
ないだろう、何しろそんな大仰な物言いが凡そ似合わな
い、ざっくばらんで素朴なお人柄だったから。考えてみ
れば、今や当店で佐々木作品をご購入頂いたお客様の大
半が、生前の佐々木さんを知らない方々なのだが、だか
らと言ってそれは如何なる不利を齎すものでもない、目
前の作品が寸分も違わず「佐々木和」という人間に他な
らないからだ。だから私達は絵を見れば、いつでも佐々
木さんに会う事が出来る、たとえ現世で会う事が叶わな
かったにしても、いつもいつも画家と会い続けている。
この場に何度も記した事だが、佐々木さんの表現に最
も顕著な特徴は、まずはその視線の「低さ」である。試
みに画集を開いてみると、最初に出てくるのが「鴨」と
いう作品で、雑木林と思しき画面の真ん中を、一本の野
路が貫くように描かれ、そこに小さな鳥達が思い思いに
集っている。次頁は「竹の子」、文字通り丸々と肥えた
見事な竹の子一本、地面にデンと居座っている。その次
は「春」、ふと見下ろしたスニーカーの足元に、健気に
咲いていた小さな黄色い花一片。次は「あすぱら」、方
形の盤に置かれた数本のアスパラが、豊かな滋味を孕ん
で横たわる。その次は「風の後に」、吹き飛ばされた幾
多の小花と葉片が、地面を鮮やかな紋様で綾なす。次は
「初あざみ」、春の最初に出会った野あざみ一茎、野原
のど真ん中に悠揚と屹立して、春霞の空へと花冠を伸ば
している。そして「春の田」、水温む田んぼから顔を出
し、縦横に列を成す稲の苗と、水面に映る雲を浮かべた
蒼空が、麗かな春のハーモニーを奏でる……、もうこの
辺りでいいだろう、画集が春夏秋冬の順に構成されてい
るため、事例が春の題材ばかりになってしまったが、夏
でも秋でも冬でもそれは同じ事だ、制作のほとんどが極
めて「低位の視線」で為されている事、それはザッと字
面を読まれただけでも、容易に判明する特質かと思う。
私の知り合った頃は、疾うに谷戸の自然を題材とされ
ていたので、リアルタイムでは存じないのだが、若き日
の作品を拝見するような機会も度々あって、それらの経
験から一つ言える事は、元々佐々木さんは、かなり構成
的な作画を旨とする画家であったようだ。後年のユニー
クな混合技法に到る前は、純粋な油彩画を制作されてい
たようで、私の拝見したその当時の作品は、数本のビン
で空間を幾何学的に構成した、極めて抽象的な静物画で
あった。一見してモランディを思わせるようなその作風
は、作家の或る明瞭な意図によって厳しくコントロール
されている。或る明瞭な意図とは、即ちフォルムと色彩
によるコンポジション=構成であり、それはそのままモ
ランディの意図に、延いてはセザンヌの意図にも繋がる
ものだ。それが、横浜の周縁に今も残る「谷戸」と呼ば
れる地域に移り住んだ事から、徐々に作風も変化を遂げ
る経緯となる。最初の変化は、モチーフに現れた事だろ
う。つまり、ビン等に代表される卓上の無機物から、谷
戸の自然を形成する豊かな動植物へと、描くモチーフは
自ずから変移していった筈だ。或る時は野の花であった
り、或る時は諸々の果実であったり、また或る時は谷戸
に生きる動物であったりと、徐々にモチーフは多様な風
物に亘るものとなったが、当初それらはあくまでも、画
面を構成する一つのエレメントとして用いられたのだと
思う、恰もセザンヌの用いたリンゴのように。しかしそ
の冷徹かつ分析的な視線は、直ぐにも修正を迫られる事
になったのではないかと、私にはそう思えてならない。
そもそも佐々木さんは、横浜の市街地に生まれて街中
で育った、いわゆる「都会っ子」だったと言う。それが
40代前半の頃、同じ横浜でもより内陸に位置する緑区
の一角、ご本人の言い方を借りれば「開発に乗り遅れて
取り残された」ため、結果的に昔ながらの豊かな自然が
残る事となった、近辺では「谷戸」と呼ばれる地域に移
り住んだ。よって、私のような田舎者にはさして珍しく
もない田舎の風物も、都会育ちの画家にとっては、その
全てが生まれて初めて触れる環境であり、故に目を瞠る
が如き新鮮さを伴うものだった。おそらくはその時、そ
れまでアトリエという密室で追求して来た知的な方法論
に代わって、鮮烈に吹き込んで来た生き生きとした谷戸
からの風が、画家のカンヴァスに新たな生気を齎す事に
なったのではないか。とすればその制作において、谷戸
を形成する風物の悉くが、直ぐにも絵画構成上の一要素
としての位置を脱して、ただただ瞠目し感嘆し称讃を送
る他ない、掛けがえのない対象へと昇華した事だろう。
よって対象へと注がれる画家の眼差しは、常に豊かな共
感と限りない敬仰に満ちていた。その「仰ぎ見る」眼差
しこそが、いつしか画家の視線を「低く」したのだと思
う。だから佐々木さんに特有の「低位の視線」は、その
まま画家の対象へと向ける敬仰の証左に他ならない。数
多の画家が視線を高く取り、時には俯瞰の眼差しで対象
を見下ろすその傍らで、佐々木さんの眼差しは低い方へ
低い方へと向けられた。故にそこから見上げた世界は、
見下げてばかりいる者には決して見えない世界であり、
それ故にかつて誰も見た事のない世界であった。少なく
とも私の知る限りでは、その辺に幾らでも生えている単
なる雑草(という草は無い、とかの碩学に怒られそうだ
が、一応の通称として)を、あのように描いた画家は居
ない。例えばエノコログサ、例えばススキ、そしてオオ
バコ・ミズヒキ・ネジバナ・カキドオシ、更には誰も描
く事の無いだろうセイタカアワダチソウに到るまで、そ
れらは繰り返し繰り返し、多くの画面を飾る主題となっ
た。それにしても彼らは、何と誇らしげに地から立ち上
がり、薄っぺらの葉片を雀躍と宙に伸ばし、可憐な小花
を咲き誇らせて、谷戸の四季を謳歌していた事だろう。
ここで作家論を講釈するつもりはないが、佐々木さん
の眼は東洋の眼であり、とりわけ日本の眼だと思う。古
来より山川草木悉有仏性と謳い、生活の周囲悉くに仏を
見て神を住まわす、あの感謝と祈りに満ちた柔らかな眼
だ。なるほど西洋にあっても、幾多の画家が描いた無数
の花の絵があるだろう。しかしそのほとんどは、花瓶を
絢爛と飾る豪奢な花々であり、質素に飾られた花の絵が
あったとしても、大概はバラやヒマワリ等々の、良く知
られた花である事が多い。手近の僅かな資料で早急に論
ずる事は出来ないにしても、少なくとも私の見た限りで
は、たった一本の名も知れぬ雑草を描いた作品には、遂
に出会う事はなかった。概して人間の手によって作られ
た花々を、人間の手が構成した静物──従来西洋で描か
れて来た自然には、抜き難く「人間」が関与している。
これは突き詰めれば西洋特有の自然観に到り、果てはそ
の根幹を成す哲学・宗教にまで及ぶので、とても私の手
に負える論題ではないが、ごく卑近な例を挙げれば、西
洋では「ノイズ」と呼ばれる虫の鳴声が、東洋では秋の
夜長に欠かせない風情として、古来愛されて来た事実一
つを取ってみても、その差異は歴然としているのではな
いか。人間にとっては無益なもの、却って余計であり邪
魔でさえある存在、そんな至極卑小な捨て置かれた自然
に、全く同等の視線で対する佐々木さんの眼、それは明
らかに草木にも仏性を見る、麗しき日本の眼である。人
間の手を介さない自然に、人間と同等の尊厳を見る眼、
換言すれば、人間という存在が小さな自然を、それほど
超えるものではない事を知る眼、これは未だ西洋におい
ては閉じた眼であるとしたら、大いに誇るべきものでは
ないか。開かれた眼で見た時、一本の野草が如何に多く
を語るのか、佐々木さんの絵には正にその答えがある。
実はこの東洋と西洋の拙い比較論は、佐々木さんの生
前にこの通信に記したものである。よって画家本人にも
目を通して頂いた訳で、その折りに佐々木さんは「いや
~、そんな見方も有ったんですねえ」と、いたく感心し
た振りをされていたが、実は「そんな面倒な理屈は考え
ても無かったけどね」というのが、偽りなき本音であっ
たに違いない。再度申し上げれば、そのぐらい「大仰な
物言いが凡そ似合わない」人であったし、第一あのボサ
ボサの頭と屈託のない笑顔の前では、格好を付けた仰々
しい言い回しなど、忽ちにしてその威力を削がれるのだ
った。むろん、今でも上記の拙論は間違ってはいないと
思っているし、だからこそ今一度引用させて頂いたのだ
が、しかしながら、実のところ作家自身は、東洋の眼だ
西洋の眼だと殊更に騒ぎ立てる前に、目前で縦横に躍動
する谷戸の自然に、ただ瞠目し感嘆し共感していただけ
なのだろう、残された作品を見ていると、そんな画家の
溢れるような思いが、理屈抜きに実感されてならない。
佐々木さんの亡くなられた翌年、初めての回顧展を前
にして、私は画家のこよなく愛した谷戸の地を訪ねた。
満倉谷戸・旭谷戸・やまんめ山・梅田川等々、佐々木さ
んの作品におなじみの地名は、すべてこの周縁に位置し
ている。そこはまた、画家が毎日のように愛犬を連れて
散歩した、常々の生活圏であった事を聞いていたので、
一度その地を訪れて、実際に見ておきたいと思ったので
ある。その日は折からの猛暑で、道には人っ子一人いな
かった。それどころか、赫々とぎらつく強烈な陽光の下
に、猫の一匹・烏の一羽さえ姿を見せない。画家のアト
リエを通り過ぎて、徐々に緑の深くなる山裾を歩きなが
ら「佐々木さん、来ましたよ」と呟いてみる。きっとこ
の野路は、幾度も画家の通った道なのだ。しばらく進ん
で緩やかな坂を登り切った時、突如目の前に、息を呑む
ような野草が立ちはだかった。細い野道のど真ん中、私
の背丈に届かんばかりの巨大な野草が、優に数センチは
有るかと思しき極太の茎で屹立し、ちょうど私の目の高
さ辺りに、猛暑の炎熱など物ともせずに、大振りの花冠
を勢い良く咲き誇らせている。一瞬にして脳裏に、かつ
て見た絵が甦った。その花は紛れもなく、佐々木さんが
数年ほど前に、生き生きと描き上げていた花だった。名
前? 最早そんな些事はどうでも良い、人知れぬ野地に
悠然とその威容を誇りつつ、己こそが紛う方なき「谷戸
の王者」である事を、彼は高らかに宣言していたから。
思わず「そうか、君だったのか。凄いなあ」と、話しか
けた。そしてきっと在りし日の画家も、そう話しかけた
に違いないと思った。どの位の時が経ったのだろう、ふ
いに私の傍らで画帳を開いて座り込み、一心にペンを走
らせる画家の姿が、瞬時見えたような気がした。谷戸の
王者を目前に仰ぎ見て、佐々木さんは「凄いなあ、凄い
よなあ」と、嬉しそうに呟いている……。見回せば茹だ
るが如き大気が辺りを満たす、幻夢に眩む夏であった。
(23.12.22)