画廊通信 Vol.247 故郷の在処(ありか)
3年ぶりの「斎藤良夫展」である。3年──という月日は長かった。何しろ「斎藤良夫展」でこの画廊をオープンして以来、毎年欠かす事なく新作展を開催させて頂き、それどころか初期の4~5年は、年2回の個展をお願いしていたのだ。よって前回は、画廊開設18年という時点でありながら、斎藤さんの個展は24回目に達し
ていた。次は25回目という一昨年、作家より突然連絡
が入り、今年は見合わせたいとのご意向、昨年も引き続
き見合わせる事になり、こうして3年という月日が夢の
ように流れた。この3年、私は故里を失ったデラシネで
あったように思う。あらためて斎藤良夫という画家は、
そして斎藤さんの描き出す風景は、私の故里であり、こ
の画廊の原点である。斎藤さんが居なければ、私はこの
仕事を続けられなかったろうし、この画廊をオープンす
る事も出来なかっただろう。画家に初めてお会いしたの
は、30代初めの頃であったから、かれこれ30年を超
えるお付き合いになり、それだけでも長い物語が書けそ
うだけれど、その間の出来事は、今まで事ある毎にこの
場に記して来たので、ここに繰り返す事はしない。それ
よりは、待ちに待った25回展を前にして、私はやっと
今、渇望の故里を目前にした心境で居る。もうすぐこの
画廊は、あの深い詩情を湛えた風景で満たされる、この
遥かなる天涯の大地こそが、画家の内なる故郷であり、
私の立ち戻る里でもあり、更に敷衍するのなら、誰もが
遠く思いを馳せるだろう、いつの日か帰るべき地でもあ
る、見る人が心に、あの抑え難き「郷愁」を抱く限りは。
先日、案内状に掲載する新作をお預かりするため、久
々に斎藤さんのアトリエを訪問した。壁には2点の新作
が掛けられていて、内1点は30号ほど、荒野の丘に街
影を浮かべる集落の遠景で、彼方の空はあたかも深い郷
愁を映し出すかのように、一面えも言われぬオレンジに
染まっている。もう1点は20号ほど、荒涼と赤茶けた
大地の上に、古い石造りの民家が寂寞と佇む。前者を見
ながら「何処の街ですか?」「シグエンサです」、画家
の幾度も描いて来られた、中部スペインの小さな城砦集
落である。「この前久しぶりに行って来ましてね。11
月だったから、もう随分と寒い頃でした」、そんなお話
をされているので、てっきり昨秋辺りにまた行って来ら
れたのかと思い、いつの間に……と少々驚いていたら然
に非ず、斎藤さんは4年前に渡欧した折りの話をされて
いるのだった。「コロナの始まる前年の話ですよね?」
と訝る私に、答えるでも無く「そうでしたか……」と、
まるで他人事のように呟く画家を見て、ああ、斎藤さん
の時計はこの3~4年、止まったままだったんだな、と
思った。たぶん長い活動休止の歳月を挟んで、斎藤さん
の時計は寸分も進んでいなかったのだ。ならば画家は、
私達の計り知れないその内なる時空において、未だ遥か
な天涯の街々を流離う、長い長い旅路の途中に有るのだ
ろう。それ故の郷愁、それ故の寂寥である、そう考える
と、今回の新作が湛えるこの豊かな詩情も、深く首肯で
きるではないか。もう1点の作品には「ゴヤを訪ねて」
というタイトルが添えられていた。これもまた、斎藤さ
んが幾度となく訪れたゴヤの生地、フェンデトードスと
呼ばれる寒村を描いたもので、正に画家の原点とも言う
べきシリーズである。両者を暫し見比べながら、さてど
ちらを案内状に載せるべきか、私は大いに迷うばかり、
結果的に案内状にはシグエンサの風景を使わせて頂いた
が、両者共に紛れもない、見事な画家の絶唱であった。
前回2020年の個展に際して、やはり同地を描いた
作品が何点か出品されていた事から、私はこの画廊通信
に、折りしも「シグエンサへの道」というタイトルで、
その古い街に関しての記事を書かせて頂いたのだが、今
回もまた同地を描いた新作を展示するに当たって、その
折りの拙文を今一度、ここに掲載させて頂きたく思う。
重複する事になるが、この3年の間に斎藤さんを初めて
目にするお客様も増えた由、多少の参考にでもなればと
思うので。という訳で、以下は3年前の画廊通信から。
…†…†…†…†…†…†…†…†…†…†…
「街の周囲は、荒れ果てた原野なんです。その中に、小
さな集落がポツンと在りましてね」、顧みればそんなお
話を、何度画家からお聞きした事だろう。この場でも斎
藤さんの描く村落を、度々そのように紹介させて頂いた
のだが、実のところ私自身はその風景を見た事がない。
「茫々たる荒野の香りを孕んだ集落」云々と、既知の場
所の如き形容をしているけれど、当の「茫々たる荒野」
と云うものを、私は知らないのだ。これではいけない、
と猛省している内に、そうだ、この際だから「シグエン
サ」への道を辿ってみようと、また無益な事を思い立っ
た。むろん実際には行けないのだから、以前にパリの街
路を探索した先例に倣い、今回もグーグルマップの助け
を借りようと云う魂胆である。ミシュランの地図による
と、シグエンサはマドリードとサラゴザの中程に位置す
る山間の集落で、距離にしてマドリードから100km
ほど、まずは街道を北東へと走れば良い。さあ、画面を
ストリートビューに切り換えて、荒野の街へ旅立とう。
マドリードを出ると、グアダラハラの台地を貫く街道
が彼方へと伸びる。この一帯はかつてラ・マンチャと呼
ばれた広大な平原で、時代によって様々な帝国が覇権を
争った、複雑な歴史に彩られているが、現在はただ平坦
な草原が広がるばかりだ。その真っ只中を横断する自動
車道を何処までも進みゆくと、その内にアルマドロネス
という地区に入り、程なく見えて来た小さなインターを
分岐すれば、そこからがシグエンサへの道となる。しば
らくはうねうねとした登り坂が続き、やがて丘陵を超え
ると、眼下に広漠たる原野が豁然と開けた。無数の灌木
が斑紋のように大地を覆い、乾燥した叢草が果てしない
草原を形成し、至る所に赤茶けた地面が顔を覗かせる。
見渡す限りの茫漠とした原野、それが彼方まで渺渺と広
がり、地平線で遥かな天際と接している。時折車窓の片
側に切り通しの崖が現われ、バーントシェンナの荒々し
い岩肌を曝け出す。道はなだらかなアップダウンを繰り
返し、限りなく延々と続く荒野は、場所によって灌木も
叢草も排して、原初のむき出しの地肌を見せる。それを
荒原と言うのか、もしくは土漠と言って良いのか、地貌
の分類は知らないが、いずれにしろ荒涼落莫とした風景
だ。しかしながらそれは、寥寥・蕭条と云った情緒を一
切寄せ付けない。もっと人為を離れた、些細な人心など
は遠く及ばない、超えて大きな風景とでも言うべきか、
やはりこの地は遥かユーラシアの果て、極東の島国とは
異なる「大陸」なのである。荒れ果てた原野の上、天空
を覆う雲は低い。垂れ込める暗雲の下を、時として道端
に殺伐と佇む廃墟を見やりながら、細い車道は緩やかな
カーブを描きつつ、果てるともなく先へと伸びてゆく。
私は以前、斎藤さんの描く「空」について、このよう
に記した──それは多くは描かれず、建物の狭間から僅
かに覗く。しかしながらその垣間見る天空は、押し並べ
て悠久の詩情に染まっている。それが天涯の荒野であろ
うと、都邑の雑踏であろうと、上方に覗く空はいつも遥
かな趣を湛える。だからこそ、その下で営まれる無数の
人生は、限りない愛しさを帯びるのだろう──自らこう
書きつつも、そのスケールが何処から来るものかは、分
からないままであった。しかし、何処までも広がる荒原
を辿り続ける内に、不意にその所以が腑に落ちたように
思えた。たぶん斎藤さんの空は、その下に広がる荒野を
映している。広漠たる原野が湛える悠遠の孤愁が、いつ
か無窮の天空に反映された時、空はあの雄大な郷愁に染
まるのだ。斎藤さんの描く空は、荒野を抱く空である。
ふと気が付くと遥かな前方に、街を斜面に頂く小高い
丘が見えて来た。頂には厳めしい城塞が屹立し、その下
に屋根が幾重にも連なって中腹を覆っている。やがて丘
の麓に到った道を、城へと曲がって緩やかな坂道を登れ
ば、そこが目指すシグエンサの街である。長い星霜を刻
んだ煉瓦の壁が奥へ奥へと連なり、路地から振り仰ぐ屋
根の上には教会の尖塔が覗く。古い街であった。厳しい
荒野の中に微かな明かりを灯すかの如く、小さな集落で
あった。ここを斎藤さんは幾度も訪ねて、あの深い情趣
を湛えた、数々の秀作を生み出したのだ。さて、私も街
の奥へと分け入ろう、追憶の路地を歩む画家を探して。
…†…†…†…†…†…†…†…†…†…†…
壁に染み込んだ時間、毎年毎年塗り替えられながら、
何百年にも亘って見て来たであろう人間の営み、そんな
事を思いながら描いています。壁の前を通り過ぎて行っ
た、無数の人々が居るでしょう。ある時は恋人同士であ
ったり、ある時は友達同士であったり、子供を連れた家
族であったり、年老いた夫婦であったり、そして喧嘩を
したり笑ったり、酒を飲んで騒いだり、物思いにふけっ
たり、辛い別れがあったり、そんな市井の人々の数え切
れない営み。心温まる事も、愚かな事も、全てを黙って
見続けて来た路地裏の壁、そこに刻まれた目に見えない
時間の温もりを、少しでも描き出す事が出来たらと思う
んです──かつて斎藤さんは、そのように語っていた。
言うまでもなく、最も描き難いモチーフが「時間」で
ある。五感では把握出来ないけれど、確かに在るもの。
むろん視覚でも捉えられないが故に、それは「痕跡」を
描く事で暗示する他ない、あたかも「風」を描くには、
その及ぼした「現象」を描く他ないように。何故欧州の
古い街並みを、取り分けその風化した壁を描くのか──
そこに「時」の痕跡が、歳月の刻印が在るからだ、斎藤
さんならそう答えるだろう。最早戻らない時間、帰らざ
る星霜の距離、それは長ければ長いほど、作品には或る
情緒がより豊かに醸成される、それを「郷愁」と呼ぶの
なら、それは斎藤さんの風景に深い陰影を齎し、特有の
アウラを津々と放ちつつ、画面一杯に満ちるのである。
そもそも「郷愁」「懐郷」といった言葉は、既にそれ自
体で、避け難い「時」の経過を孕む。何故なら、両者に
共通する「郷=故郷」という概念が、空間的にもそして
時間的にも、常に遥か遠くを暗示するからだ。例せば、
今も隣町に在る生家を「故郷」と呼ぶだろうか。遠く離
れ、長い歳月を経てこそ、その場所は掛けがえのない故
郷となる、ならば故郷とは帰るべきに非ず、それはただ
「想う」ものだ。帰っても、そこに有るものは所詮現在
の日常であり、久しく心に醸成された故郷とは、異なる
現実に直面するだけだから……。そんな胸中でつらつら
作品に見入る時、やはりここに描かれた街こそが私の故
郷なのだと、あらためてそう思えた。行った事もないの
に? そう、行く事の叶わない地だからこそ、これから
も訪れる事なき街だからこそ、そこは永遠に帰らざる内
奥の地となる。斎藤良夫という画家を通して、じっくり
と描き出された郷愁の磁場、そこが荒野の辺境であれ、
或いは古の都邑であれ、見る者は常に絵の中へと分け入
って、幾度も幾度も帰り続けるだろう、最早戻らない遠
い日々に想いを馳せながら、それぞれが心に抱くだろう
遥かなる故郷へと。それが即ち絵の「力」であり、斎藤
さんが私達に齎してくれる、稀有の贈り物なのである。
(23.09.28)