まほろば (2008)   木版画16版34度摺
まほろば (2008)   木版画16版34度摺

画廊通信 Vol.237          印象派を超えて

 

 

 牧野さんの版表現と西洋印象派との関連については、以前にもこの場で何度か触れた事があったが、数ある牧野さんの木版作品群から、印象派的な表現の作品だけをセレクトした展示は、今回が初めてかも知れない。もっとも印象派的な光の表現自体が、牧野木版の顕著な特徴なのだから、殊更に取り上げて云々せずとも、それは多

くの作品に多かれ少なかれ散見されるものではあるのだ

が、今回はその中でも「光と色の彼方に」というタイト

ルに象徴されるような、より印象派的表現に徹した作品

だけを厳選して、展示させて頂く運びとなった。以降は

「印象派的表現」という言葉が長ったらしいので「印象

表現」と略すが、牧野さんの優に半世紀を超える長い画

業において、印象表現への大胆かつ果敢な挑戦は、言う

までもなく1980年代の「有明シリーズ」に始まる。

有明海の干潟をテーマとしたこのシリーズは、その後約

15年に亘って多様に展開され、その間に様々な他作品

を挟みつつも、全20点の連作が生み出された。振り返

ればこのシリーズが、伝統木版・現代木版のいずれも成

し得なかった革新的な表現を可能にして、従来の木版画

界に激震をもたらす金字塔となった訳だが、残念ながら

その大方が現在は絶版となってしまい、個展への出品は

困難な状況にある。よって有明シリーズからの出品は、

今回は4作品ほどに留まるが、代わって同連作を更にそ

の先へと発展させて、新たな表現に挑んだ作品が、以降

も陸続と発表されて今に到るので、定めし18回を数え

る本展は、牧野木版の絢爛たる印象表現の軌跡を、正に

一望できる展示となるだろう。大いにご期待頂きたい。

 

 以前にも書いた事なので繰り返しになってしまうが、

今回の主題である「印象表現」をご理解頂くためにも、

再度「西洋印象派」の歴史を振り返ってみたい。モネの

「印象・日の出」が出品された第一回印象派展の開催が

1874年、この記念すべき展示会から更に7年ほどを

遡り、1867年に開催された第2回パリ万博の際に、

初めて極東から日本が参加を果たし、折からのジャポニ

ズムの萌芽と相まって、ヨーロッパに大きなセンセーシ

ョンを巻き起した。この年、当の日本では大政が奉還さ

れ、翌年の改元で明治が始まるという大変革の最中だっ

たから、たぶん悠長に渡航しているような状況ではなか

ったと思われるが、そんな時勢をかいくぐって出品され

た浮世絵200点が、西洋絵画の歴史を大きく塗り変え

た訳である。特徴的な輪郭線、単純化された画面、影の

ない明るい色彩、遠近法の無視、驚くほど大胆な構図、

奇抜なアングル等々、何しろ浮世絵表現の全てが、当時

の美術界にとっては極めて新しい要素を孕んでいただろ

うから、そのもたらした影響を挙げていたら紙面が足り

そうにない。いずれにせよ、マネにしろモネにしろ、或

いはドガにせよルノアールにせよ、果てはゴーギャンや

ゴッホに到るまで、当時の革新派の画家達がこぞって浮

世絵版画を買い求め、熱心にコレクションしていた事実

からも、彼等に与えた衝撃の度合いが推測される。ちな

みにあの貧窮の画家ゴッホが、何と500点近くもの浮

世絵を蒐集していたと云うから恐れ入るが、先述した歴

史的な印象派登場の背景には、そんな画家達の浮世絵へ

のひたむきな憧憬と共感があり、実はそれが美術史を揺

るがした革新の、大きな原動力となっていたのである。

 

 1880年代に入ると、印象派の技法を理論的に推し

進めた「新印象派」が登場する。スーラやシニャックが

その代表的な画家だが、特にジョルジュ・スーラは当時

の最新光学理論を駆使して、科学的な論拠に基づいた制

作をした事で知られる。印象派は更に、セザンヌやゴッ

ホ・ゴーギャンに代表される「ポスト印象派=後期印象

派」へと発展するが、彼等は印象派を起点としつつも、

批判的にそこからの超克を目指した画家達なので、印象

派とは異なる地点にスタンスを置いていたから、結局印

象派の方法論は、スーラにおいて極められたと言える。

 周知のようにスーラの創始した技法は、色彩を理論的

に分割して、無数の細かい色点で作画を成す、いわゆる

「点描」と呼ばれる画法である。これは、光は混色する

ほどに明るさを増す(加法混色)のに対して、絵具は混

色するほど反対に暗くなってしまう性質(減法混色)を

持つ事から、その現象を回避するために生み出された苦

肉の策であった。つまり、色を混ぜるから暗くなるので

あれば、混ぜないで画面上に並べればいい、細かい点に

して沢山並べれば、遠くから見たら混ぜたと同じように

見えるだろう、という訳である。この「視覚混合」と呼

ばれる光学現象を巧みに用いる事によって、絵具の「減

法混色」という難点は一気に解決され、光は本来の明度

も彩度も保ちながら、鮮やかな印象のままに再現される

事となった。この技法によって点描主義の画家達は、例

えば灰色といったくすんだ印象の色でさえ、ブルー系と

オレンジ系の点を並置する事により、明るく描き出す事

を可能にしたのである。「影でさえ光で描く」と言われ

る印象派の画法は、こうして理論的完成を見た訳だが、

一方でこの技法は、必然的に画風が点描に限られる事か

ら、却ってその合理的方法論ゆえに、自らの発展を閉ざ

す仕儀となった。つまり点描法のより精妙な展開を求め

れば、点を細密化する他ないのだが、それにも限度があ

るから、方法上の発展はそこで止まるのである。以降の

点描派の停滞を見れば、それは言わずもがなであろう。

 

 さて、ここからが本題となるのだが、上述した「視覚

混合」という現象に頼らず、よって点描という手法を一

切用いずに、印象派とは全く違った地点に立脚して、よ

り輝かしい色彩を生み出す事を可能とした作家が居る。

その作家はここ日本に在し、しかも油彩を描く洋画界か

らではなく、かつて印象派に多大な影響を齎した浮世絵

木版の側から出現し、その伝統技法を現代に拓いて、極

限まで突き詰める事によって、正しく印象派に匹敵する

(時には凌駕すると言っても過言ではない)光の表現を

成し遂げたのであった。他でもない、牧野宗則である。

「多色摺り」という伝統木版独自の工程ゆえ、結果的に

牧野さんも点描派と同じ「色彩分割」の方法を取る。た

だ、点描派がその名の通り色を「点」に分割するのに対

して、牧野さんは版画という技法の性質上、色を「版」

に分割する。つまり点描派が色点を「横に並べる」のに

対して、牧野さんは色層を「縦に重ねる」事になり、こ

こに同じ表現を希求しながらも180度異なる、全く対

照的な方法が誕生したのである。色点を横に並べて光を

表現した印象派の画家達、片や色層を縦に重ねて光を表

現した稀代の木版画家、さて、どちらの方法がより可能

性を宿し、未来に開かれた方法であったのか──これま

での牧野さんの歩みが、その答えをそのまま物語るだろ

う。従来の浮世絵では10度程度が限界であった摺り度

数を、徐々に20度・30度と拡大して、遂には50度

を超える驚異的な重ね摺りへと到った、その足跡そのも

のが「色層を縦に重ねる」という多色摺りの、開かれた

可能性を立証している。それは色彩表現の多様性・自由

度という観点から見れば、正に肉筆画を超えた版画なら

ではの成果であり、そして現に今も牧野さんが新たな挑

戦を続けているように、未だにその可能性は未来へと開

かれているのである。斯様な「版」による色分解は、ど

んなに特筆してもし過ぎる事はない、印象派の成し得な

かった事を、牧野さんは可能にしたのだから。ただ、こ

こには大きな難点が付きまとう。技術力の問題である。

それだけの多色摺りを可能にするためには、伝統木版の

高度に磨き抜かれた技法を修得しなければならず、それ

には長い雌伏の歳月が必要とされる。それに耐え得る強

靭な雄志の才は、残念ながら現状では未だ出現を見ず、

将来もまた絶望的と言わざるを得ない。「牧野の前に牧

野なし、牧野の後に牧野なし」と言われる所以である。

 

 以前牧野さんに、なぜ幾重にも版を重ねているのに、

色が濁らないのかをお聞きした事がある。実際牧野さん

の重ね摺りは上述の如く、時に50度を超える凄まじい

度数に達している。むろん画面の全てに50数色が重ね

られている訳ではないにせよ、数十色の色版が重ねられ

ているのは紛れもない事実であり、これがもし油彩や水

彩による描画であれば、目も当てられない悲惨な状況に

なっている筈である。それが牧野木版においては、重ね

れば重ねる程により透明度が増して、色彩もいよいよ輝

きを増すかのようである。牧野さんはこう答えられた。

「強圧をかけて何度も摺り込んで行くので、きっと色は

紙の中で重なっていると思うんです。決して混ざってる

訳じゃない、だから濁らないのではないでしょうか」、

とうに牧野さんは、かつて画家を悩ませた「減法混色」

の問題を解決していたのである、しかもスーラのように

科学的な理論を用いるのではなく、伝統木版の可能性を

徹底して突き詰めてゆく、その飽くなき実践の中で。そ

んな問答からいつしか印象派に話が及び、浮世絵の多大

な貢献について暫しの歓談をさせて頂いた後、牧野さん

は爽やかに笑ってこう言われた。「私の先輩達は、それ

ほどの影響を西洋に与えた訳でしょう。だったら今度は

こっちが返してもらわなくちゃね」、どのように返して

もらったのかは、今回の展示を見に来て頂く他ない、東

洋の印象派・牧野宗則の成した、絢爛たる印象表現を。

 

 ご存じのように牧野芸術の根底には、常に大自然への

限りない共感と敬仰が有る。これは牧野宗則という作家

に、元々有った思いであると同時に、おそらくは伝統木

版の新たな可能性を探究する過程において、モチーフで

ある自然を「光」と「色」に徹底して分解し、それを版

に刻み幾層にも重ね、自らの印象表現へと再構成する作

業を通して、更に深められて行ったものだろう。きっと

牧野さんは光と色の彼方に、確かな「神性」を見たので

ある。ならば牧野さんと同様に、徹底して光と色に向き

合った印象派の画家達も、そこに何か言い難いものを見

出していたのだろうか。クロード・モネを例に取れば、

当人の直接の言説は見当たらないにしても、当時の評家

は睡蓮のシリーズに、こんな言葉を寄せている──地球

の無意識な状態、そして私達の思考の超感覚の形──こ

れは西洋に特有の婉曲な言い回しだが、換言すれば上述

の「神性」に極めて近い概念と言えるだろう。作品を見

れば明瞭であるように、モネもまた自然を光と色に分解

し、印象表現へと抽象しゆく過程で、やはりそこに或る

超感覚の形=神性を、有り有りと見ていたに違いない。

 思えば新時代を開いた「印象・日の出」の出品から、

来年で150年が経過する事になる。その間、西洋美術

に多大な影響をもたらした浮世絵伝統木版は、無念にも

衰退の一途を辿った。一時的に川瀬巴水や吉田博等の新

版画が注目され、海外でも人気を博したと聞くが、おそ

らくは異国趣味の域を出るものではなかったろう。こう

して150年を俯瞰した時、牧野木版とは西洋の印象派

が考えもしなかった「版による」印象表現の、超絶的な

展開とは言えないだろうか。それは同時に、浮世絵とい

う伝統技法に今一度息を吹き込み、更なる可能性を極限

まで拓いた、独創的な革新でもあった。こうして今私達

は、西洋の印象派と日本の伝統木版の、思いも寄らなか

った新たなる再会を、目撃する幸いに浴するのである。

 

                     (22.12.22)