NORA R-Ⅶ     板にアクリル / 0F
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画廊通信 Vol.199             シロの時代

 

 

 シロについて書くような事は、もう無いだろうと思っていた。シロとは、以前我家に出入りしていた半野良の事だが、何しろ逝ってから6年にもなるし、よって共に生きた日々も霞みつつあるので、ここに登場してもらう機会は最早無いだろうと踏んでいたのだ。それが5年ぶりの安元亮祐展に当り、新作のほとんどが猫もの、言わば「猫尽くし」だと言うではないか。となれば、どうしたって彼に復活してもらわねばなるまい。そんな訳で今回は、久々にシロの登板と相成った由、皆様には暫しお付き合い頂く事になるけれど、何とぞご容赦のほどを。

 近年私の住む団地は、とんと猫を見かけなくなった。かつてはその辺を歩いていれば、必ず薄汚れた野良猫が

方々から顔を出したものだが、近頃はめっきりとその姿

を見ない。これは、猫好きと称する人達の或る行動が齎

した、必然的な成り行きとも思われるが、それについて

の賛否はさて措き、のうのうと我が物顔で道端を闊歩し

ていた彼等が、いつしか目前から消えてしまった事は、

端的に言って寂しい。以前の画廊通信をひっくり返して

いたら、シロを初め往時の猫達を記した号が出て来たの

で、少々長くはなるけれど、再度の掲載をお許し頂けれ

ばと思う。以下は9年前、第5回安元亮祐展に際しての

画廊通信から。思えばあの頃は、数多のヤクザな無宿者

達がイキイキと群雄割拠をし得た、最後の時代だった。

 

 ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ──

 

 夢うつつにどうも小うるさいので目を開けると、顔の

前でシロがあごの下を掻きむしっている。時計を見ると

午前3時、私を起すために無い頭を絞って、こうした嫌

がらせを仕掛けて来るのだが、たまにはやられる身にも

なって欲しい、ばい菌だらけの薄汚い毛を毎夜吸わされ

て、私の肺はきっと腐りかけているのだ。なぜ真夜中に

起こされるのかと言うと、食事の時間だからである。独

りで勝手に食えばいいものを、いつの間に私が給仕をす

る習慣になってしまい、後悔した頃にはもう遅かった。

誰かに捨てられて野良暮らしを続ける内に、心が荒んで

人間不信になっていた猫だから、当初哀れに思ってちや

ほやしてあげたのが、まんまと裏目に出たようである。

ええい仕方ない、観念してそそくさと冷え込んだ玄関の

えさ場に行き、親切にも高齢用焼かつおとやらをほぐし

てあげている脇で、シロは泰然とたたずんでいる。思え

ばこの猫との付き合いも、いつしか10年を超えた。野

良だったから正確には知らないが、17~8歳にはなる

筈である。よって近年はめっきりと老いて、飽きもせず

寝てばかりいるが、かつてはこの界隈の王者であった。

 

 私の住まいは古い公団住宅で、芝生や公園等の共有地

が多いため、猫にとっては誰に追い出される事もない、

楽園のような場所である。従って野良猫が多い。漂泊の

果てに辿り着いたと思われる、百戦錬磨のやさぐれた流

れ者が、あちらこちらとうろついている。その中で最も

薄汚れて最も喧嘩っ早い猫が、我が家のシロであった。

近辺ではよく知られた猫で、何でも女房の話によると、

道端で悠揚と寝転がっているシロを遠巻きにして「あの

白い猫は凶暴だから、近付かない方がいいわよ」とご近

所様の囁き合っている場面を、買物の行き帰りによく見

かけたりして、その度に肩身の狭い思いをしたと言う。

 我が家に出入りするようになった当初、シロは広大な

縄張りを誇っていた。私の住む街区はもちろん、隣の街

区までを領土にしていたようで、日々の巡視勤勉にして

欠かす事なく、少しでも縄張りに足を踏み入れる余所者

あらば、それっとばかりにすっ飛んで行って、団地中に

響き渡るような声でギャオギャオわめき散らし、大乱闘

の末に見事撃退したはいいけれど、あげく顔面に派手な

傷痕を付けて帰って来たり、深夜血だらけになって帰還

したりは日常茶飯事、おかげでいつも方々に生傷が絶え

ず、何度病院のお世話になったか知れない。「この猫ち

ゃんは強いのよ。顔に傷を作るのは逃げない証拠、偉い

わね」と女医さんに誉められ、シロいつも満更でもない

のだが、度重なる散財でこちらは大迷惑であった。今で

も眉間には天下御免の向こう傷が残り、上目遣いの三白

眼で睨みを利かせるその顔は、呆れるほど人相が悪い。

 

 さて、人間に栄枯盛衰があるように、猫の社会でもそ

れは避け難い摂理であるらしく、数年前からシロの領土

は徐々に狭まり、昨今は覇権の意欲も枯渇したのか、自

分の棟の周囲だけで満足の態である。あれほど好きだっ

た喧嘩もいつしか止んで、結果として新参者達が、以前

の領土を我が物顔でうろつくようになった。中でも昨年

辺りから矢鱈と付近に出没する猫がいて、こいつがどう

にも好戦的でたちが悪く、方々で誰彼となく喧嘩を吹っ

かけては、かまびすしい立ち回りを演じるのである。白

毛に不格好な黒い斑点を散らし、小型のホルスタインと

いった様相なのだが、時によっては未明からミャーミャ

ーギャーギャーと騒ぎ立て、やかましい事この上ない。

シロも昨年こいつと一戦を交え、脳天に咬み傷を作って

帰って来たのだが、どうも決着が付かなかったらしく、

この前などはシロがこたつで眠りほうけている隙に、不

敵にもベランダにまで入り込んで来た。ぶくぶくと肥え

太って可愛げの欠片もないふてぶてしさ、我が家のシロ

を咬んでくれた恨みもあり、思わず三途の川向こうまで

蹴り跳ばしてくれようかとも思ったが、まあ、猫の社会

に口を出すのもどうかと思い直し、ドサドサと逃げてゆ

くその無様な後ろ姿を、黙って見送ったのであった。そ

れにしてもこやつ、かつての首領シロの家に、単身乗り

込んで来るとは不届き千万、狼藉許し難し、図に乗って

いると今に天誅を下すぞ、と憤っているのはどうやら私

だけのようで、当のシロはこたつからのそのそと這い出

て来て、太平楽の大あくびをかましていたのだけれど。

 

 さて、真夜中のえさ場でムシャムシャと食事を終える

と、シロは思いっきり伸びをして玄関を開けろと言う。

狭くなった縄張りでも、パトロールは欠かさないのであ

る。誰もが寝静まった深夜、ドアの隙間を音もなくすり

抜け、月影の落ちる街路へと歩みゆくシロを見送ってい

ると、私はいつも安元さんの描く月夜の猫を思い出す。

(中略)翌朝出がけにベランダを見ると、シロは手すり

の上で朝日を浴びていた。たぶん日なたぼっこをしてい

るだけなのだが、シャンと背筋を伸ばして黙考するその

姿には、往年の王者の風格が漂う。ちなみに私の携帯の

待ち受けには、陽を浴びて我が領土を睥睨するシロの勇

姿が入れてある。我ながら屈指の名写である。そう、お

まえは泣く子も黙る首領だったではないか、色々と鬱屈

のあるご主人は、心の内でシロを叱咤する。今度あの牛

猫野郎が来たら、迷う事はない、鉄拳をお見舞いしろ。

病院代は気にするな、今度こそ勝負をつけよ。張り倒し

て、ぶちかまし、再起不能、こてんぱんに叩きのめせ。

 シロ、朝日の中でかなたを見据えたまま、動かない。

 

 ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ── ✦ ──

 

 こうして読み返していると、ちょうどシロが老境に入

った頃の話だった事が思い出される。それから2年を経

ない秋の盛りに、シロは死んだ。大して可愛がっていた

訳でもないのに、未だデスクの脇には、在りし日の写真

をベタベタと貼り付けたままだ。もう猫と暮らす事もな

いだろう。失礼、そんな事はどうでもいいとして、前段

に「安元さんの描く月夜の猫」と書いたが、これは何も

無理に話を結び付けようとした訳ではなく、実際夜の帰

り道等で不意に何処からか現れ、こちらの歩行に並行し

て傍の垣根の陰などを、夜目にも白く見えつ隠れつ、舞

うが如くに付いて来るシロを見ていると、何かこの世の

ものではない精霊のようにも思われ、するとつい安元さ

んの描くあの不思議な猫達が、彷彿と脳裏に甦るのだ。

 今回の展示会タイトルである「猫町奇譚」は、言うま

でもなく萩原朔太郎の短篇から拝借したものだが、つい

でに言えば紹介文中にある「のんども鳴りますごろごろ

と」と云う一節も、お察しの通り或る詩の一部を借用し

たパロディーである。── 観客様はみな鰯 (いわし) /

咽喉 (のんど) が鳴ります牡蠣殻 (かきがら) と── 中原

中也「サーカス」からの一節、ご存知の方も多いのでは

ないだろうか。この二人の詩人は、ただ適当に取り上げ

た訳ではなく、安元さんの世界とある種の共通性を持つ

故、こうして使わせてもらった次第なのだが、せっかく

だから同時代の文学者にアナロジーを求めれば、やはり

宮沢賢治と内田百閒にもご登場願いたい。萩原朔太郎の

ファンタジー、中原中也のノスタルジー、それに宮沢賢

治のイノセンスと、内田百閒の奇っ怪なユーモアを加え

れば、それぞれを頂点とする三角錐(正四面体)が出来

上がる。少々牽強に過ぎたかも知れないが、きっと安元

さんの描く猫達は、この四面体の中に広がる小宇宙を、

永遠の住処としているのだ。猫を描く画家は数多いが、

安元さんの猫達は、他作家のそれとは明らかに異なる特

徴を見せる。それが顕著に表れているのは、やはりその

表情だろう。具体的な感情を持たない不可解な表情、し

かし冷たい無表情と云うのではない、豊かな詩情をイキ

イキと孕んだ相貌。おそらく画家は、そこに喜怒哀楽と

云った通常の感情表現を持ち込もうとは、考えていない

のだろう。それよりは、謎めいた異邦のパントマイマー

のような風情で、彼等は不可解な非日常性を醸し出す。

そのあたかも何処か別の次元から、不意に立ち現れたか

のような姿容を見ていると、彼等は私達の生きるこの日

常とは、違う世界の住人なのだと思えて来る。先述した

「四面体の中に広がる小宇宙」とは、そんな別世界を象

徴した異名と言えば、その謂をご理解頂けるだろうか。

言うなれば彼らは、異界からの使者なのだ。或いは、異

郷への案内人と言うべきか。その不可思議な表情にいざ

なわれ、緩やかに心を遊ばせる内に、知らず知らず絵に

見入る人は、見知らぬ異国の陋巷へと迷い込んでいる。

空には赤い月が掛かり、何処からか蒼い風がそよぎ、翠

(みどり) に澄み渡る大気が満ちて、白い石造りの家々が

眠る路地、永遠に朝の来ないこの星月夜の街こそ、彼等

の生きる夢の故郷、安元さんのワンダーランドである。

 

 前掲の中也の一節は、このように続く。── 屋外 (や

がい) は真ッ闇 (くら)  闇の闇 / 夜は劫々と更けまする   

/ 落下傘奴 (らっかがさめ) のノスタルヂアと / ゆあー

ん  ゆよーん  ゆやゆよん── ブランコの揺れを模した、

柔らかなオノマトペが印象的だが、この響きは何とは無

しに、あのしなやかに遊び戯れる猫達を彷彿とさせる。

冬の夜半、帰って来ないシロを探しに出ると、思いがけ

ず公園の高い樹の上に居て、枝を伝い歩きながらひとし

きり、ゆあーんゆよーんと揺らしたと思いきや、突如ふ

わりと落下傘奴のように降り立った、そんな光景も最早

遠い夢のようだけれど。しかし、今宵安元さんの異郷で

蒼い風に吹かれて、君はもう一度命を得る。そうしたら

今度こそ、あの牛猫野郎と決着をつけよ。どうせ病院代

は要らない、今や君は不死身である。ならば鉄拳足蹴り

雨あられ、完膚なきまでにぶちかませ。そして必ずや勝

利して、今一度、泣く子も黙るあの凶暴な首領となれ。

 

                    (19.12.14)