カサーレスの家 (2013)    油彩 / 20F
カサーレスの家 (2013)    油彩 / 20F

画廊通信 Vol.196             郷愁の時場

 

 

 今年で23回目となる斎藤さんの個展に臨んで、さて何を書いたらいいものかと考えてはみたのだが、思いあぐねるばかりで何も浮ばない。確か昨年もこんな出だしではなかったかと、前回の画廊通信に目を通してみたところ、案の定同じような事が書き連ねてある。何の進歩も無い我が身を顧みて、いよいよどんよりと打ち沈むばかりなので、とにかくもこうして書き始めてみた訳だ。

と、ここまで書いてから、以降ぱったりと何も進まず、

暗澹としてパソコンを閉じたのだったが、帰路の道すが

らにふと、斎藤さんの風景が湛える特有の「懐かしさ」

について、改めて考えてみてはどうかと思い立った。こ

のテーマなら何かを言えるかも知れない、今度こそ、と

再び書き出したのはいいけれど、さて何処に行き着く事

やら。さて措き、かつて勤務していた画廊で、斎藤良夫

展の企画を任された事があって、かれこれ20数年も前

の話になるのだが、その際に作ったパンフレットの紹介

文に、私はこのように記した。以下は当時の資料から。

 

 斎藤良夫の絵を見る度に、一種の不可思議な懐かしさ

に打たれる。そこに描かれている風景は、おおむねポル

トガルやスペインの古い街並である事が多く、私達の見

知らぬ異国なのに。初めて見た筈でありながら、記憶の

遥かで確かに出会っていた deja-vuの風景。そこにはた

ぶん誰の心にもある、帰るべきあの「故郷」が描かれて

いるのかも知れない。ノスタルジアのロマンを秘めて、

時に優しく、時に奔放に重ねられる筆の跡は、いつしか

多様な光彩となって、懐かしき故郷を織りなしてゆく。

 

 この文章を、未だ絵画の何たるかも曖昧であったろう

30代の私が、一体どの程度「わかって」書いたのかは

最早定かではない。しかし、今久々に読み返してみた時

に、幸いそれほど外れた事は述べてないように思える。

と言うよりも、自画自讃のつもりはないが、斎藤芸術の

本質をむしろ的確に捉えているようだ。郷愁、懐郷、望

郷等々、言い方は様々にあるけれど、いずれにせよ、そ

れらが等しく孕む懐かしさ、それは絵の何処から来るも

のだろう。そもそも、斯く言う「懐かしさ」とは何か。

 

【懐かしい】①そばについていたい。親しみがもてる。

②心がひかれるさまである。しっくりとして優しい感じ

である。③かわいい。いとしい。④思い出されてしたわ

しい。──以上が広辞苑の語釈だが、昨年夢の第七版を

大枚はたいて買ったのに、いざこうして引いてみると、

信頼の念が一気に薄れてゆく。それはいいとして、①と

③はこの場合別義であるから、②と④が当該の釈義とな

る訳だが、ここに私達が通常「懐かしい」という言葉を

用いる時の、あの独特の情感が説かれているだろうか。

そう、これは「情感」の問題なのだ、「意味」が宰領す

る範疇ではない。と考えれば、当初から語釈には無理が

あり、よって上記のお粗末な釈義にも酌量の余地はある

のだろうが、それにしても、もう少しましな語釈はない

ものかと、二三他典も当っては見たのだが、悲しいかな

どれも似たようなものであった。だからと言ってここで

諦めては、話が終わってしまう。ならば無い頭を絞りつ

つ、自分なりに考えてみる他ない。とは言え、ロジック

で解き明かせる問題ではないのだから、むしろ、考える

事自体を止めるべきか。そして、懐かしい──こう感じ

た時のその情感の有りようを、暫しは玩味してみよう。

 

 例えば、私は今数十年ぶりに、夢にまで見た故郷に降

り立った。かつて見た見晴るかす山々、街中を悠揚とう

ねりゆく川の流れ、時代の波が諸所を変えつつも、何処

か昔日の面影を残す街並み、そして、これだけは往時と

変らない空気の匂い、その肌触り。思わず湧き上がる、

ああ、懐かしい……という感慨、この時「懐かしい」と

いう言葉の奥で、私は何を思い、何を感じているのだろ

う。まずは、故郷に帰って来た事から齎される、しみじ

みと深い安堵だろうか。父母の下に、馴染んだ家に、こ

うして今帰り着いたという、子供の頃のような安心感。

これは一種の喜びであり、穏やかな愉悦であり、麗しい

安楽なのだろう。それは確かな事だが、それだけだろう

か。それだけでは、未だ何かが欠けているようにも思え

る。もう少し、故郷の街に立つ自分を、その心持ちを、

想像してみなければならない。そこには、静かな喜びと

は別種の何かが有って、おそらくは、それが有って初め

て、あの「懐かしい」という思いは醸成されるのだ。帰

り着いた街、思い出の地、遥かに霞む追憶の日々……。

「時」だ。そこには「時」という、如何ともし難い隔た

りがある。場合によっては、既に父母は亡く、家は建て

替えられ、友は去り、遠い記憶だけが宙を彷徨う。斯様

にして、数十年というこの時間の距離だけは、どうした

って取り戻す事は出来ない。そう否応もなく悟らされた

時、人は何を感じるだろう。柔らかに漂う儚さ、最早触

れ得ないものへの愛しさ、そこはかとない虚しさ、そん

なある種淡い哀しみが、密やかに津々と滲み出す様を、

自らの心に見るのではないだろうか。それが、欠けてい

た何かの正体であるとしたら、そこにはまるで木の葉の

裏表のように、相反する感情が並存する。という訳で、

漸く結論めいたものに辿り着いたようだ。即ち、戻り得

た場所への喜びと、戻り得ない時への哀しみと、それら

がアンビヴァレントに渾然と融合した姿が、あの「懐か

しい」という情感の本質なのではないか。どうだろう。

 

 さて以上は、通常に用いられる「懐かしさ」に関して

の考察だった。しかし、本題はその先にある。再度前頁

の拙文を顧みると、私はこう記している──斎藤良夫の

絵を見る度に、一種の不可思議な懐かしさに打たれる。

そこに描かれている風景は、おおむねポルトガルやスペ

インの古い街並である事が多く、私達の見知らぬ異国な

のに。初めて見た筈でありながら、記憶の遥かで確かに

出会っていたdeja-vuの風景。── つまり、ここに記さ

れた懐かしさとは、一切触れた事もない、如何なる関連

もない場所への情感なのだ。いや、関連がないとは言い

切れないかも知れない。映像や写真の媒体は幾らでも有

るのだから、知らず知らずの内に、それらの風景に触れ

ていた事は有り得る。しかし、斎藤さんの描く名も知れ

ない街々の全てに、かつて種々の媒体を通して出会って

いたとする推論は、明らかに説得力を欠くものだろう。

しかも、それには数十年も前の一瞬の邂逅を全て、郷愁

を有り有りと喚起する程に、記憶しなければならないの

だから、これは最早暴論に近い。とすれば、この現象は

どう解したら良いのだろう。残された推論の道があると

したら、体験という事実からはその原因を探し得ないの

だから、いっそ視点を外から内へと転じて、自身の心の

内にその原因を探る他ない。おそらくは自らも気付かな

い心奥の何処かに、何らかの原因が隠されているのだ。

 

 記憶の遥かで確かに出会っていた deja-vuの風景──

図らずもかつてそう書いたけれど、これもどの程度分っ

て書いたかは怪しいもので、実は単なる文学的な装飾に

過ぎなかったのかも知れない。そうであったにせよ、こ

の「deja-vu=既視感」という現象自体は、重要なキー

になる。周知のように「既視感」とは、一度も体験が無

い筈なのに、かつて体験した事のように感じる特殊現象

を言う訳だが、これに関しては心理学や脳科学等の分野

で、様々な仮説が提起されてはいるものの、未だ明確な

説明には到らないようである。むろん今はそれらの一々

を検討する暇もないし、第一その能力もないのだから、

ここでは「絵を見る」という行為だけに絞って、話を進

めて行きたい。描かれているのは見知らぬ異郷なのに、

何故か不可思議な懐かしさに打たれる、このある種の既

視感を伴う現象は、さて心の内の何処から来るものか。

と書きながら、私は今一枚の絵を目前に置いた。今回の

案内状に掲載した「サンジェルマン・デ・プレ」4号、

まだカンヴァスのままだ。おそらくはこの絵と、それを

見る私の中に答えは有る、deja-vu を齎すその答えが。

 

 幾度も重ねられた絵具、息遣いをそのまま宿したよう

な筆の跡、味わい深い微妙な色合い、案内状は青みがか

って再現されているが、実際はもっと温かな緑灰色だ。

見ていると、画面に幾重にも刻まれた、長い星霜が滲み

出す。あの戻り得ない「時」の手触りだ。私はこの街を

知らない。パリという、良く知られた都邑ではあるにせ

よ、その地を踏んだ事は一度もない。それなのに、やは

りここには斎藤さん特有の郷愁がある。はてどうしてな

のかと、ちょうど頭も働かなくなったので、暫しぼんや

りと見入っていたら、まずはこの郷愁は作家自身の感慨

であるという、至極当然の事実に気が付いた。そう、こ

れは私の郷愁である前に、斎藤さん自身の郷愁なのだ。

50年余の昔から、幾度も訪れた思い出の地、画家は静

かに溢れ出す追憶をそこに見ながら、自らの絵筆を重ね

続けたのだろう。私は今、正にその想いを宿した筆跡を

見ている。そしていつか、絵と私の間に「共感」という

橋が架かる。思うに共感とは、互いの心の共振であり、

そこに生起する感動とは、その共振が齎す揺動に他なら

ない。換言すれば、共感したその一瞬、画家の魂は見る

者の心に流れ込み、両者の精神は一つになる。即ち画家

の郷愁は、そのまま私の郷愁となるのだ。この辺りで、

或る答えが導き出せるだろうか。私にとっての見知らぬ

異郷は、絵を媒介とした画家との共振によって、かつて

見たいにしえの故郷となる。よってあの「懐かしさ」と

は、deja-vu という「既視の感覚」を呼び起すように見

えて、実はそうではなかった。むしろその逆で、見る者

と共鳴する画家の魂を通して、瞬時に現出した心奥の故

郷、言わば「既視の記憶」から、ゆくりなくも齎される

感慨だったのである。私は遠い過去の或る日、斎藤良夫

という画家と共に、この街で、この空の下で、確かに生

きたのだ。その地に今こうして戻り得た、最早戻り得な

い歳月の堆積と共に。戻り得た「場所」と、戻り得ない

「時」と、それらが渾然と融和して、絵と私の間に遥か

な橋の架かる時、あの郷愁の時場が完成するのである。

 

「今年は何処にも行く気は無かったんですが、どうして

も行きたくなっちゃってね。10月にトレドに行ってき

ます」、斎藤さんにそう告げられたのは、つい3ヶ月程

前の事である。よって当店の個展が始まって直ぐ、画家

はスペインへと旅立つ。それでも、半月に亘る旅路を終

えて、帰国した直後にはご来店頂けるとの事、来廊日を

例年よりも延ばして、第3週にしたのはそれ故である。

よって渡欧の前には、何としても作品を完成させなくて

はと、斎藤さんいつにも増して意気軒昂であられたが、

そんな折に千葉を直撃した、先日の台風である。報道で

も連日、画家の住む東金近辺の被害を伝えていたので、

アトリエの安否が気になって電話を入れてみたところ、

「停電は有りましたが大丈夫です」、それで台風関連の

話は終ってしまった。「それよりも、なかなか描けなく

てね。四苦八苦してます」、そちらの方が重大事という

風である。まあ、いつもの事でもあるし、それに関して

の心配はしないのだ。そんな訳で、あの郷愁に染まる風

景に逢える日を、今から楽しみにしているのだけれど。

 

                     (19.09.23)