画廊通信 Vol.193 表すものと、現れるものと
ジャコメッティと親交のあったジャン・ジュネの手記に、アトリエを訪ねた際の興味深いエピソードがある。以下「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」から。
ある時私は、今までに見た作品の中で最も美しいと思われる立像を、テーブルの下に発見した。吸いさしの煙草を拾おうとして身をかがめた拍子に、それは埃の中にあったのだ。どうやら彼は、それを隠していたらしい。不注意な訪問者の足が当たりでもしたら、ヒビが入ってしまうかも知れないのに。彼は言った──本当に力があればちゃんと自分で出て来るさ、私が隠したところで。
これを読んでいたら、以前にお聞きした三木さんの話をふと思い出したので、それも合せて記しておきたい。前回の出品作品で、大胆にも顔の上半分をバッサリ削ぎ
落とした人物像があって、思わず「凄い表現ですねえ」
と申し上げたところ、とても愉快そうに作家の言うには
「僕はいつも庭で制作をするんだけど、粘土を捏ねてい
たら手が滑って、芝生の上に落としちゃってさ。その時
たまたま側で洗濯物を干していた女房が、ゴロンと転が
って来たそれを踏んづけちゃってね、その瞬間、これで
良し!と思ったんだ」「するとこの半分欠けた顔は、奥
さまが踏んづけちゃった跡なんですね?」「その通り。
でも、彫刻ってそんなものじゃないかな。出来上がった
ら放り投げてみるのも一興、転がってもぎ取れてしまう
ものは、所詮それまでのもの。それでも残ったものが、
本物なんだ」、という訳で、時に優れた表現は不慮の事
故をさえ、天のみわざとして自らに取り込むのである。
さて、上述した両話の共通項を考えた時、そこには共
に「表現」という行為の両義性を、知悉する者が居ると
いう事実が、見出されるのではないかと思う。そもそも
「表現」という言葉の成り立ちは、「思想」や「戦闘」
といった熟語と同様で、同じ意味の動詞を二つ重ねたに
過ぎない。「表す」と「現す」で「表現」、誠に安直か
つ能がない、拙劣にして粗放、深慮熟考の欠片も感じら
れぬ、言わば懺悔の値打ちもない作語である。これは明
治が開幕して舶来文化が押し寄せた際、とにかくも目前
の厄介な外国語を、早急に訳さなければならない喫緊の
必要に迫られ、とても熟慮の時間など取れない状況下、
その場凌ぎの俄仕立てでエイッとばかり、止むを得ずで
っち上げた即席の造語が、いつの間に市民権を得てしま
ったというのが、おそらくは真相なのだろう。福沢諭吉
を始めとした、当時の学者連の考案による和製漢語を、
普段私達はさして意識もせずに用いている訳だが、その
作語のいい加減さを改めて省みる時、甚だしい手抜きの
不実を責めるよりは、その叡智を発揮するお膳立てなど
望むべくもなかった、否応のない時代の奔流を思うので
ある。さて措き、〈expression〉という英単語を訳すに
当り、先学は「表現」という漢語を考案した。確かにそ
れは安直にして能がない作語だったかも知れないが、芸
術の領域で当語を今一度考えてみると、それは先人の思
惑を超えた新たな概念を持ち始める。「現」を「現す」
ではなく「現れる」と読む。即ち「表す」と「現れる」
で「表現」、こう解した時、俄に「表現」は創作の真髄
へと迫り、その肯綮に中る言葉へと転化するのである。
絵を描く際に「偶然」は最も重要な側面で、創造力の
源泉になっていると思う。例えば、無意識でカンヴァス
に付けた筆の跡から、非常に深みのある示唆を受けて、
描きたかったイメージが明確になる事がある。或いは、
作品がありふれたものになってしまい、怒りと絶望から
絵をバラバラにしてしまった時、突然そこに直観的なイ
メージが浮ぶ事もある。そう考えてみると、私の仕事が
旨く行くのは、一体自分が何をやっているのか、自分で
も分らなくなった瞬間からなのだろう。だから良い作品
が出来た時は、それは自分が描いたものではなく、たま
たま「授かった」ものだと、私には思えてしまうのだ。
以前にも引いた事があったと思うが、これは「フラン
シス・ベーコン・インタヴュー」からの抜粋である。こ
こで画家は驚くほど率直に、自らの創作の秘密を暴露し
ているが、あの類例のない奇っ怪な謎と、特異な企みに
満ちたような作風を知る人は、その発言から意外な印象
を受けるのではないだろうか。偶然、つまりは思いも寄
らず立ち現れる何か、その方が自身の作為よりも重要な
のだと、ベーコンは明確に言い放つ。換言すれば「表し
た」ものよりも「現れた」ものの方がより重要なのだ、
それこそが創造力の源泉なのだと、画家はそう明言する
のである。実は、こういった意図を超えたものへの言及
は思いの外多く、ピカソを始めとした他作家にも同様の
発言は散見されるし、ちなみに文学の分野においても、
それを根本的な方法論とする言述は数多い。これも以前
に引用した一節だが、参考までに大江健三郎の言葉を。
初め、このようにして小説が新しい展開を示して終る
という構想は、私にまったくなかった。そしてそれを生
んだ強い発想は、後半の章を書いているうちに、あれと
してやって来たのだった。あれとは、日々小説の文章を
書きついでゆく精神が滑走路を準備して、そこから自分
にも思いがけない滑空に向けて走ることになり、それま
での展開が別の次元に到る、それをもたらす力である。
そのようにあれはやって来る。あれがやって来てはじめ
て、私は我を忘れて小説を書き進めることになるのだ。
ここで語られる「あれ」とは、前述の「思いも寄らず
立ち現れる何か」、つまりは意図を超えて「現れた」も
のを指す事は、よもや明白だろう。ただ、この場合は更
に踏み込んで、意識して「表す」という前段階があって
初めて、意識しないものも「現れる」のだと、そのよう
に自己を分析している。言うなれば「表す」事によって
「現れる」、そして「現れた」ものによって「表す」、
即ちここでは「表す」と「現れる」が密接に結び付いて
表裏一体・不可分の関係になっている、実はこの構造こ
そが「表現」という行為の極意ではないだろうか。言う
までもなく表現とは、精神を何らかの形象に異化する行
為だから、自己を十全に表す事でそれは完結するのでは
ないか、そんな反論も当然あろうかと思う。しかしその
場合、創作は「個」という狭い枠内に留まり、自己主張
の域を出ないだろう。「自己主張」と「芸術表現」は違
う。自己の枠を破る事で、初めて「主張」は「表現」へ
と転化し、見る者の普遍へと伝播する力を持ち得る。そ
のために芸術家は「現れる」ものを捕える、きっと誰に
もその瞬間は訪れるのだが、大方はそれを取り逃がし、
たった今取り逃がした事にさえ気が付かない、狭隘な主
張に盲目になっているからだ。真の表現者は、鋭敏な感
性のアンテナを未知へと開き、たとえ受信がほんの微か
な信号でも逃さない、そこに主張と表現を分かつ、或る
重要な分岐点があるのだろう。おそらく優れた表現とは
「現れる」ものを「待つ」事によって得られる。この場
合「待つ」行為が、具体的に「表す」事によって為され
るとしたら、少なくとも芸術表現の場において、それは
決して受動には非ず、積極的能動で有り得るのである。
冒頭のエピソードで、ジャコメッティの言わんとした
事は何だろう。たぶん彼は待っていたのだ、自らの塑像
が「これで良し」と言って来る瞬間を。そして信じてい
たのだと思う、作品自らが「これで良し」と言える力を
備え、再び眼前に立ち現れる事を。もう一話に関しては
言わずもがな、三木さんのアンテナは捕えたのだ、通常
は面白可笑しく語られて終るだけの偶発事を、ゆくりな
くも訪れたあの掛けがえのない「現れ」と見做す事で。
実は三木俊博という彫刻家が、どのようなスタンスで
制作に臨むのかを、未だに聞かず仕舞いなのだ。初めか
ら明確な意図を胸に制作に臨むのか、或いは敢えて意図
を持たずに制作に入り、塑像を探る途上に現れた形を捕
らえるのか。例えば、今回の案内状に掲載した新作には
「シャルル・去来するものに身を委ねて」というタイト
ルが添えられている。この作品が、当初からそのような
イメージの下に創られたのか、それとも制作の過程で立
ち現れた者にそう名付けたのか、それはいずれとも分ら
ない。しかし、この未知の量塊から生成して、何らかの
フォルムを通過し、再び元の量塊へと消滅する、言わば
生成と消滅の狭間に須臾、時を止めたかのように佇む姿
容、その不可思議なメタモルフォーゼを喚起する、軟ら
かに揺らぎゆく身体を見ていると、それはどちらにして
も同じ事ではないかと思えて来る。もし明確な意図を胸
に制作に臨まれたにせよ、それは飽くなき変容を重ねる
途上で、幾らでも他のイメージに移行し得るだろう。ま
た、塑像を探る中で無作為に生起した者であっても、そ
れは容易に更なる変容へと移りゆくだろう。ならば結句
同じ事ではないか。いずれにせよ作家は、フォルムを希
求する旅路でこの身体と出会い、その未知からの出現を
見出し、そこに「シャルル」という名称を与えたのであ
る。今それは鋳造という過程を経て、変容の或る瞬間に
位置をしたまま、密やかな孤独の中に立ち続けている。
「シャルル」という名を、以前にも三木さんは作品に使
われていて、それは悲劇の王子として史実に残る、マリ
ー・アントワネットの次男ルイ=シャルルを指していた
から、きっと今回も同じ人物なのだろうと思う。一見少
女にも見えるその容姿は、下方に眼を転ずれば明らかに
少年と分る。ブルボン朝最後の王子が、その短い生を如
何に悲惨な顛末で終えたかは、調べれば直ぐにも分る事
なので、ここにその詳細は記さないが、たとえその生涯
を全く知らずとも、この立像から音もなく滲み出すよう
な悲哀は、誰の心にも津々と響き到るだろう。現実には
瘴気のように立ち昇ったであろう悲傷は、今は哀しみの
香気となって秘めやかに放たれる。この立像は、悲哀の
形象だ。シャルルが誰であれ、少年であれ少女であれ、
もしくは神話的な両性のアンドロギュヌスであれ、そう
いった種々の意味付けには全く拘らず、ここには或る純
粋な哀しみのフォルムが在る。それは表す事によって現
れ、且つはその現れによって表し、絶えざる変容を重ね
た果てに、精神の形象──或いは「結晶」と言うべきか
──となって生み出されたものだ。この一切の前置きや
解説を不要にする、ある種強靭と言ってもいいフォルム
は、やはり「表現」という行為の勝利と言えるだろう。
冒頭の手記中でジュネは、ジャコメッティの石膏から
青銅へと到る制作の過程を見て、「ブロンズの勝利」と
いう言葉が浮んだと書いている。思うにそれは「表現」
への極上の讃辞だ。最後に今一度、同書からの抜粋を。
ある日サルトルと昼食をしながら、私はジャコメッテ
ィのアトリエで見た立像の話をした、「そう、勝利した
のはブロンズなのだ」と。「その言葉が、彼には何より
の喜びだろう」、サルトルは私に言った。「彼の夢は作
品の背後に、完璧に消滅する事じゃないかな。立像が本
当に自ら現れてくれたら、もっと嬉しいだろうけれど」
(19.06.24)