画廊通信 Vol.192 原初に向って
「わたなべゆう」という作家の原初性について、改めて考えてみたいと思う。それに際して、まずは「原初」という言葉を明確にしておきたい。往々にそれは「原始」という言葉と混同され、両者の区別は曖昧にされがちなので。むろん意味の重なる部分もあるのだが、ここでは 「原始」が <primitive=自然のままの未発達な様> を指すのに対して、「原初」は<origin=起源・発祥>の意味で使いたい。ゆうさんの世界は確かに濃厚な原始の匂いを感じさせるものだが、それは原初の根源的な領域へと遡ったが故の、結果的な容相なのだと思う。翻って作家自身は、この言葉をどう用いているだろうか。以前
にもここに引かせて頂いた一節だが、以下はゆうさんの
「画家とイメージ」というエッセイからの抜粋である。
物質的平面である事をより強く意識し、いかに美しく
汚すか、いかに美しく壊すかという事を考える。そし
て、記憶が発酵して出てくるニオイを有形化する。
原初的な形の背後にある空気、ニオイ、また、自然な
あるいは使用による必然的な古び・汚れ、または時間
の蓄積による風化、これらの日本人独特と思われる美
意識が、画面の中に入り込んで来る。これを、共有さ
れた精神風土の記憶として、提示する事は可能だろう
か。たとえば、現代社会が見失いかけている精神的な
豊かさを、画面に取り込む事はできるだろうか。
出口を見失ってしまった迷路からなんとか抜け出す為
には、入口にまで戻るしかない。美術の発生の原点ま
で戻って、あの豊饒さと緊張を手に入れたいと思う。
末尾に「1992年」と有るから、まだゆうさんが安
井賞を受賞する前、年齢にして42歳当時の発言になる
が、「わたなべゆう」という作家を貫く独創的な芸術理
念が、この頃には既に確立されていた事が分る。たぶん
ここで使われている「原初的」という言葉は、最後の一
文に記された「美術の発生の原点」という言葉と照応し
ている。という事は、ゆうさんもやはり起源・発祥とい
った根源的な意味で、その言葉を用いたのだろう。もう
一つ作家の言葉を引いておきたい。以下、参考までに。
昔、誰かが言っていた。
「表現の可能性はコンセプトよりも原初性にある」、
いまだにそういう立ち位置で私は創り続けている。
現代の作風としては非常に古典的な、
いや、むしろ美術が発生した原点を発掘する、
考古学者の様な立場なのかもしれない。
これは、2012年の吉井画廊における個展の際に、
画集に添えられていたゆうさんの言葉だが、ここで言う
「原初性」は、まさしく<origin> を指している。表現
の可能性が、何故コンセプトよりも原初性に有るのか、
思うにそれは「コンセプト」が所詮は脳内の観念に過ぎ
ないのに対し、「原初性」とは現実の身体的な感覚に他
ならないからだ。もっとも現在の美術シーンでは、純粋
視覚表現よりは理論的なコンセプトを重視した表現、い
わゆる「コンセプチュアル・アート」が未だ隆盛を誇っ
ているが(個人的には「猖獗を極めているが」と言いた
い所だが、それはさて置き)、しかしそれが、原初の強
靭な力を前に如何に無力であるか、換言すれば、それが
如何に脆弱な遊戯に過ぎないかを、かつて私は或る作品
に身を以て教えられた。「わたなべゆう」という芸術家
との、忘れられない出会いである。それは今思い返して
も、胸の空くように痛快な、誠に強烈な体験であった。
10数年前の話になるが、当時「両洋の眼展」という
展示会があった。毎年2月の日本橋三越展を皮切りに、
夏から秋頃までの長いスパンで本州の諸所を巡回すると
いう、かなり大規模な企画である。「東洋の眼でも西洋
の眼でもない、両洋を貫く総合的な眼の下に、日本画・
洋画の枠を超えて、第一線の画家を一堂に展観する」と
の趣旨で、実際に錚々たる画家の居並ぶ展覧であった。
とは言え、そういった鳴り物入りの企画というものは、
往々にして期待外れに終る事が多い。初めて足を運んだ
19回展も御多分に洩れず、ほどほどの絵画が程よくそ
つなく適度に並んでいる、というだけの話で、そこには
何ら常態を打ち破る衝撃も揺動も無かった。よって見る
ほどに幻滅の度合いは増すばかり、悄然と萎み行く期待
に全てを諦めかけた頃、それは不意に、異様な迫力を漲
らせて眼前に立ち現れた。その時の感想を、私はのちに
このように記している。 以下、画廊通信 Vol.50 から。
圧倒的に屹立していた。まるで「土」そのものである
かのような黄土の大画面に、強靭なエナジーを放射し
て立ち上がる、原初の植物の如き形象、上へ上へと伸
びくねりながら、生命の奔流を滾らせる不撓の一叢、
さながらそれは目前に突如現出した、豊饒なる大地の
精霊であった。果てなき星霜を遡行して、もしやその
源に到るとしたら、かの地にはこんな迸る意思が、鬱
勃と繁茂するだろうか。立ちはだかる大地に行く手を
遮られ、暫しはその始原の響きに打たれながら、私は
形容する言葉もないままに、独り立ちすくんでいた。
少々大仰な文章ではあるが、事実そう書かざるを得な
い程に、それは特異な存在感を放っていた。折しも会場
は中央区日本橋、名立たるTOKYO の中心地である。現
代の最先端を誇る大都会の真っ只中、消費文明を象徴す
るようなスマートに洗練された街に、出し抜けに荒々し
い土塊を無作法に運び込んだかのような、極めて異質の
空気を全身から放ちつつ、それはお行儀良く並んだ他の
作品群を尻目に、独り圧倒的に屹立していた(この作品
「風土 31」は「ARTISTS」の項目に掲載している)。
当時の強烈な印象の要因を、今こうして思い返してみ
ると、その視覚表現の孕む野性は言わずもがなとして、
それに伴って挙げるべきは「匂い」と「手触り」であっ
た。豊饒なる大地の匂い、その温度や湿度をも含んだ手
触り、こうしたよりリアルな身体感覚こそが、押し並べ
て他作家に大きく欠落し、逆にゆうさんが濃厚に体現す
るものだったと思う。言わばこの忘れられていた芸術の
「肉体性」を、ゆうさんは有無を言わさぬストレートな
牽引力で、再び現代の美術シーンに持ち込んだのだと言
える。こうして私は、芸術表現における肉体性の、豪快
な復活劇を目の当りにし得た訳だが、精神性──と言う
よりは知性という狭い領域で、必然的に知的方法論のみ
が特化され、結果として観念の遊戯に陥らざるを得なか
った、言わば頭脳だけが肥大化した脆弱なトレンドに、
敢然と異議を唱え血の通った身体を復権させた、そんな
「わたなべゆう」という芸術家の在り方を、それは正に
象徴するような光景であった。思えばその前で、賢しら
なコンセプトの如何に無力であった事か、そんなものは
瞬時に吹き飛ばすような底力を湛えて、それはただ黙々
と峙立していたのである。故に、前述した「表現の可能
性はコンセプトよりも原初性にある」という作家の言葉
は、理屈による解説もまた可能だろうけれど、しかし私
にとっては理屈でも何でもない、紛れもない実体験とし
て自らに刻み込まれた、忘れ得ないエピグラムである。
安井賞をもらう前の旧作を、久々にアトリエに出して
みた、この頃の作品は見てないと思うから、この機会に
見てみないか。年内は出しておく予定だから、時間のあ
る時で構わないよ──そんな連絡をゆうさんから戴いた
のは、昨年の個展が終了した直後、盛夏の時節だった。
近日中に伺います、と返答しておきながら、やっと河
口湖畔のアトリエに伺う事が出来たのは、11月も終ろ
うとしていた晩秋のみぎりである。アトリエに入ると、
なるほど奥の壁面一杯に、100号前後の大作が所狭し
と並んでいた。暫しその弩級の迫力に圧倒されて見てい
ると、来年の個展に一点持ってくかい? とのご提案で
ある。即座に、是非お願いします、凄い展示になります
よ、とお答えしたところ、で、どれにする? と選択も
一任して頂いたので、是非この作品を! と希望して、
この度展示の運びと相成ったのが、上図の作品である。
「絶句」という一言が、この絵には最も相応しい言葉だ
ろう。こういった場合、説明や解釈はする程に虚しい。
一切の言葉は、効力を失うのである。だいたい、怪しげ
な土塊を思いっ切り何度も叩き付け、その衝撃で画面が
痛苦の悲鳴を上げ、遂には体液が溢れ出し滴り落ちたよ
うな画面を前に、一体何を語れと言うのか。この画面一
杯にのたうつ激情、荒々しく迸るエネルギー、それらが
放射する言語以前のマインド、これこそが理屈を超えた
原初の力であり、魂だろう。ここに言葉は要らない、だ
から問いもない、よって答えもない、ただこの美しく荒
ぶる原初の息吹を、見る者は無心に感じて居れば良い。
よく見てみたら、缶カラが貼り付けてあったよ。あの
頃港で働いてたろ? 轢かれてペシャンコになった缶が
その辺によく落ちていてね、あれを矢鱈とぶち込んだり
してるんだ、全くさあ。今頃になって思い出したよ──
つい先日、ゆうさんから入った電話である。さすがやり
たい放題、放埓無頼、ゆうさんの原点はこの絵の中で、
いつまでも生き続けるだろう。そんな訳で、今手元にあ
る作家直筆のリストには、制作技法がこのように記され
ている。── 板に油彩 (布, 紙, 砂, 金物, アキカン, etc.)
最後にお知らせを一つ。今春市川市に新しいギャラリ
ーがオープンした。ギャラリー・ルマニ、陶芸作家の個
展を主とするギャラリーだが、店主が古くからのゆうさ
んのファンで、学生の時分から作品を購入していたとい
う強者である。とは言え、私などより余程若いご婦人な
のだが、今回は開設を記念して「わたなべゆう展」を同
時開催する運びとなった。自身のコレクションを中心と
した展示との事、時間の許すお客様は、日時と場所をご
確認の上、こちらの会場も訪ねてみては如何だろうか。
(19.05.19)