IYNKUIDU TFTWONS (2017)     Mixed media / 248X170mm
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画廊通信 Vol.177            未知からの声

 

 

 小林さんの個展は2007年9月に開催して以来なので、実に10年半ぶりになる。故あって長らく次回展はストップしたままだったが、この度こうして第2回展にこぎつける事が出来て、素直に嬉しい。前回見て頂いたお客様も、随分と待ちわびておられた事と思うので、今回の開催は正に僥倖の感があるだろうけれど、今一番心ときめいているのは、他でもない私自身ではないだろうか。きっとまた思いもしない奇跡がこの小さな画廊に降り立ち、新たな伝説の一頁が書き加えられるのである。

 おそらく小林健二という作家ほど定義し難い作家は、他に居ないだろう。むろん優れた画家である。それだけなら話は簡単なのだが、それに分野を超えた種々の表現領域が連なると、常人の把握能力は一気に破綻を来す。

造形作家・写真作家・映像作家・空間演出、ここまでは

まだ美術の範疇だが、これに詩人・作曲家・音響制作と

いう異なる芸術分野が加わり、更には技術者・科学者・

博物学者・思想家・歴史家・電気工学・鉱石研究といっ

た学術分野まで加わると、我々の小さな常識など軽く吹

き飛ばされてしまう。しかし、それら幾多にわたるボー

ダーを軽々と飛び越え、自在に飛翔するその制作姿勢が

あって初めて、小林健二という類例なきオリジナリティ

ーはその全貌を顕すのである。このようなカテゴリーを

超えた巨きな存在を、的確に言い当てる言葉はないだろ

うか。当然「アーティスト」では当り前すぎる、「クリ

エイター」でも月並みだ、「イノヴェーター」という呼

称も昨今使い古された、はて、何かピタリと来る言葉は

ないものかと探しあぐねていたら、読みかけの評伝にウ

ェイン・ショーター(ジャズ・ミュージシャン)を評し

た、こんな言葉が載っていた──トランスフォーマー。

これだ、と思った。むろん例のB級SF映画の事ではな

い、元々の意味する方である、念のため。即ち「トラン

スフォーマー」=「変化を起す人」、これ以上の的確な

一言は無いだろう。おそらく小林さんが数多の作家とは

異なる最大の要因も、ここに有るのではないだろうか。

その特異な宇宙に触れた人は、その人の感性が虚心に澄

んでさえいれば、昨日までの自分とは違う何かをきっと

心の中に見出す、小林健二とはそのような作家である。

 

 小林健二という存在を知ったのは「ぼくらの鉱石ラジ

オ」という本がきっかけである。同書に挟んであった変

色した書評には1997年10月とあるから、かれこれ

20年以上も前の話になるが、今や歴史の彼方に埋もれ

てしまった電源不要の不思議なラジオを研究し、微に入

り細にわたってその製作を解説した、誠にユニークな書

物であった。一旦美術家という本業を離れ、鉱石ラジオ

をめぐる考察だけに徹した内容で、かつて工作少年だっ

た作者の遥かな未知へ寄せる想いが、ぺージの端々から

キラキラと溢れ出すようで、我知らず胸が熱くなった事

を覚えている。久しぶりに目を通してみたら、小林さん

の原点とも言えるようなお話が記されていたので、この

機会に少々ご紹介させて頂きたい。私の詰まらない話よ

りはご本人の言葉の方が、小林さんをより良く知る手掛

かりとなるだろうから。以下は同書からの抜粋である。

 

 1873年ブラウンが鉱石に単方偏導性を発見して、

これがラジオを生み出すきっかけの一つとなりました。

同じ年、電話の発明者となるベルの助手スミスが、セレ

ニウムを電話用の電気抵抗として実験している最中、た

またま窓から入る太陽光線によって抵抗値が変化する事

に気がつきます。これはやがてテレビジョンの発明へと

つながる光導電セルの最初の発見となりますが、それら

は共に時期だけでなく偶然によって発見されたところに

も、不思議な共通性を感じさせます。電気や電子、電磁

波を扱う世界は、他のいかなる場合よりも理論的でまた

実証的な側面を感じさせますが、実はこれらの世界ほど

偶然によって人類と邂逅してきた世界もないのです。そ

してこれらの背景には、いつも不思議を感じる実験者た

ちのこころが存在していた事を忘れてはならないでしょ

う。ひとしきり姿を現し、その後再び大いなる闇の中へ

消えていきそうになるちょっとした偶然の出来事を注意

深くすくい上げ、見つめ、そして磨き上げてゆく。彼ら

のその地道な日々の努力を支えていたのはきっと、ほん

の一瞬別世界と出会ったという確信だったのでしょう。

 子どもの頃、雨上がりの風景の中に虹を見つけ、まる

で異世界から出現したような大きなアーチは、その足下

にある町からはどのように見えているのだろうと考えた

人も少なくないはずです。みなさんは最近虹を見た事が

ありますか? 不思議な世界はきっとぼくらのすぐそば

で「早く私に気がついて」、そんなふうにあなたに話し

かけているかもしれません。そしてその奇跡の国へのチ

ケットは決して特権的な方法によって入手するものでは

なくて、あなたの心の中にいる少年少女たちが、当たり

前に持っている不思議を感じるこころによって、いつで

も旅立つことができるようにと用意されているのです。

 

 この書の発刊から3年後、西暦2000年という世紀

の変り目において「プロキシマ;見えない婚礼」と題さ

れた一連の展示会が、福岡市を舞台に開催されている。

市内の複数の美術館と画廊が、同じ作家の個展を同時に

開催したもので、たぶん多くの人を魅惑の渦に巻き込ん

でしまう、小林健二という強力が磁場が有って初めて成

し得たであろう、異例にして画期的な企画であった。後

日この時の記録・補遺として、同じタイトルを冠した美

しい書物が発刊されているが、その中に小林さんの思想

の核とも言えるような一文が載っているので、この機会

にこれも合せてご紹介しておきたい。何故その表現が、

時に美術という範疇を軽々と超えて、驚くほど広範な分

野にまで及ぶのか、その簡潔な答えがここには有るだろ

う。以下は「PROXIMA ; INVISIBLE NUPTIALS」から。

 

 今ではネオンのおかげで、目を凝らさなければ夜空の

星は見えないけれど、かつて夜の風景に星しかない時代

があったはずです。その時代の人々が、その星空を見上

げながら話していたことが、やがて神話になった。そし

て古来の根元的な神秘を証そうという欲求から生まれた

のが、科学だと思うのです。神話と科学が別個のものだ

というのは、それぞれを学問としてだけとらえている人

の考え方だと思いますね。科学というのは知りたいとい

う欲求と、ほんの小さな実験から始まることですよね。

それは疑うことから出発するものではなく、まず信じよ

うとする行為の中から、生まれるものだと思うんです。

 

 アートや科学を分け隔てることは、ぼくの中では難し

い。近代になって、いろんなものが各論化して行ったけ

どね。本来、哲学や物理学などの科学、そしてアート、

あるいは信仰といったものは、はっきり分けられるもの

ではないと思う。ともに人間が生きていく上において、

天然との交通を試みるための、大切な行為のような気が

する。いろんなアプローチがあると思うけど、それぞれ

が別々の違う世界にあるとは、ぼくには思えないんだ。

 

 太古、人間が今ほど言葉や論理に翻弄されてなかった

頃、私達の祖先は目に見えない何かを常に感じながら、

大いなる自然(遥かな宇宙をも含めた「天然」という言

葉を小林さんは用いる)と親密な交感をしていたに違い

ない。彼らには当然、今日のような機器も技術も無かっ

たけれど、その豊かに磨かれた直感は自在に星々へと届

いた事だろう。やがて人間は科学という思考法を得て、

それは急激なテクノロジーの進化を招く事となった。こ

の時かつての内的な「交感」は、電磁波を媒体とした物

理的な「交信」へと変性し、それは後年無数のネットワ

ークへと増殖して惑星を電脳化したが、それは同時に神

秘な天然との交流を閉ざし、いつか私達には星々の声が

届かなくなって久しい。そんな全てが合理的に機械化さ

れ、高度に電子化された時代の只中で、小林さんはある

日小さな鉱石ラジオを作った。それは鉱石とわずかな部

品だけで作られた簡素な装置で、電源を必要としない代

わりに音を増幅する力も無い。だからイヤフォンをつな

いで耳を澄まさなければならないのだが、電波を探って

いるとまるで未知からの通信のように、奇妙に「ひそひ

そ」とささめく微細な音が聞えて来る。或いはそれは、

取るに足らないノイズに過ぎなかったのだろう。しかし

宇宙を浮遊する無数の電磁波の一つに、ある夜半にゆく

りなくも触れ得た時、人は忘れていたあの懐かしい遥か

な通信を、ほんのいっときでも確かに聞いたのである。

 たぶん鉱石ラジオだけに限らない、小林さんの生み出

す多様な作品の多くは、天然との交感を促す装置と言っ

ても過言ではないのだろう。だからそこに「答え」は無

い、ラジオという装置をどう分解しても、そこに「声」

は入ってないように。それはむしろ「問う」ものとして

見る人の前に息づく。ある時はガラス質の透明な層の彼

方に、ある時は柔らかな粘性形態の中に、またある時は

発光する有機体の内に、問いは密やかな囁きのように生

起する。その静かな問いの漂う地平を、いつしかゆった

りと浮遊する内に、人はきっと未知からの声に出会うだ

ろう。それは決して声高なメッセージではない、ともす

れば聞き逃すほどのかすかな声で、透き通る夢のような

物語が綴られるのだけれど、何を喧伝するでもなく、如

何なる権威もまとわないその声は、当初人知れずささや

かな地異を、見る人の心にもたらすだけかも知れない。

しかし、小さな異変はやがて強い震度で内奥を揺らし、

いつか自らも気が付かないままに、思いも寄らない清新

な変化を身の内に引き起す。おそらくそれはこの濁れる

時代の中で、小林健二という途轍もなく純粋な魂の生み

出した、あの不可思議な装置の為せるわざなのである。

 

 去る2007年の9月、徐々に秋の気配が漂い始めた

頃、小林さんは作家トークのために来廊してくれた。実

はお呼びしたはいいけれど、もし来客が無かったらどう

しようと不安でいたたまれず、ご来廊の直前まで電話を

かけまくっていたのだが、努力も虚しく作家到着の時点

では、画廊には私一人しか居なかった。「もし一人も来

なくたって、こうして話せてるんだ、それだけでいいか

らね」と有難い言葉を戴いた矢先に来客があり、あれよ

あれよと言う間に立て混んで来て、気が付けば狭い画廊

は身動きの取れない活況である。この日は制作技法から

芸術論へと話は進み、やがて宇宙論や独自の人生観へと

移行し、果ては宗教論から古代思想にまで話は及んで、

幸運にもこの場に居合わせた方々は、皆めくるめくよう

な知的高揚を味わわれた事と思う。外も暗くなった頃、

小林さんは突如「電気を消してみようよ」と言われた。

「土星望遠鏡」と名付けられた不思議な機械を見るため

だったが、古風な木箱に取り付けられた大きなレンズを

覗くと、その中に広がった宇宙空間の暗闇で、青く発光

する土星がゆっくりと回転している。照明を落して機械

のスイッチを入れると、レンズの奥に青い惑星がぼうっ

と浮び上がった。瞬間、暗い店内で一斉に漏れたその時

の溜息が、未だに忘れられない。この夜いつしか一つに

なった皆の心に、ある遥かな声が確かに響いた。それは

ふいに音もなく降り立った、とても美しい奇跡だった。

 

                     (18.03.16)