恋 (2017)        混合技法 / SM
恋 (2017)        混合技法 / SM

画廊通信 Vol.173             声を聞く

 

 

 モーリス・ラヴェルのピアノ曲に「鏡」と題された組曲があり、その第4曲が今回の展示会タイトルに借用した「道化師の朝の歌」である。自身によって後に管弦楽にも編曲され、小曲ながらラヴェルの代表的な管弦楽曲の一つとなっている。オーケストラの魔術師と言われるラヴェルが自ら編曲しただけあって、洗練された極上の

スパニッシュ風味が溢れる、激情と憂愁が多彩に入り乱

れるかのような、キレの良い鮮烈な作品とでも申し上げ

れば、少しは曲紹介の足しになっているだろうか。舟山

さんの個展に際して、いつかこのタイトルを使いたいと

思っていた。ただ、舟山さんの世界が醸し出すイメージ

は、どちらかと言えば「夜」の要素が強い。それはやは

り満天の星月夜であり、闇夜の荒野に灯るサーカス小屋

の明りであり、夜更けにもの想うアルルカンのエレジー

であった。それが今回は具体的な「夜」という時間を離

れて、どの時間とも言えない、あるいはどの場所とも言

えない、要するに時空という要素に捉われる事のない、

より自由な人物表現となっている。と言うよりは、全点

を「人物」というモチーフに絞る事によって、自ずから

そこに描き出された多様な人物は、却ってその本質的な

抽象性を増したというべきか。送って頂いた新作を見て

いる内に、今回の共通した色調のイメージも相俟って、

このタイトルを使う機会は、今を措いてないと思えた。

近年作品によっては、赤や青や緑といった単色的な強い

色調が、画面の中にしばしば現れるのを見て来たが、今

回は淡い緑を基調として極力色数を抑えた、モノトーン

に近いと言ってもいい位の描画である。ここにはあの夜

の感触はない、だからと言って朝に限定される訳でもな

い、夜や朝という現実的な時間枠を超えて、そこからは

「道化師の朝の歌」という言葉の響きからそこはかとな

く醸し出されるような、或る濁りのない透明で醒めたア

トモスフィアが、見る者へ密やかに伝播するのである。

 顧みれば私の最初に見た舟山さんの展示は、やはり全

点が人物だったように思う。この欄にも何度か記したけ

れど、地下の画廊の薄暗い壁面で、スポットに浮び上が

った物言わぬ人物像は、極めて寡黙な佇まいでありなが

ら、或るかそけき声を津々と強靭に放ち続けていた。そ

の光景は衝撃でさえあった。それからどの位の時間が経

ったのだろう、今舟山さんはあの時の地平に、今一度立

ち返られたのだと思う。ライフワークである人物表現に

焦点を絞り、以前の抑えた色調を指向しつつも、しかし

それはあの闇を秘めたトーンから、より明瞭で清澄なト

ーンへと変化を遂げ、勢いのある自在な筆使いで表現さ

れている。先日の電話で舟山さんは、ある一瞬の表情を

画面に捉えるような、そんな思いで描いたつもりです、

そう話されていた。以前からその作品には、時折ハッと

するような一瞬を感じる人物像が見受けられたが、今回

は正しくそんなインパクトのある作品が多い。一瞬を画

面に止めるという事は、描かれていないその前後の動き

を、見る者に有り有りと感じさせるという事だ。その人

物像の見えない動きが、勢いの縦横にみなぎる、時には

激しいとも言えるような筆使いで、自在に描き出されて

ゆく。今確信を持って思う事は、長く舟山さんを追って

来たファンにとっても、その画業の原点を今一度見つめ

直し、それによって更なる展開を導いた今回の個展は、

エポックメイキングな展覧となるのではないだろうか。

 

 気が付くと今秋で、この画廊も15年を超えた。以前

この欄に「10年」というタイトルで、その時の感謝と

感慨を記した事があったが、それから5年を経た今年の

開廊日は、15周年という節目自体をすっかり忘れ去っ

ていて、のみならず家族の誰一人思い出してもくれず、

全く可哀想な状況のままに過ぎ去ろうとしていたところ

を、却ってお客様に言われて思い出したようなものだ。

日々の慌ただしさの中に感慨さえ埋没したような状況だ

ったが、あらためて15年も「もった」というその事実

に驚く。とても経営とは言えないような金との追い掛け

っこの中で、気が付いたらいつの間に15年が過ぎてい

たというだけの話だ。そんなお遊びはしたくもないし、

大体する歳でもないのだが、子供の時分から決して駿足

とは言えなかった故か、前方にはいつまでも追い付けな

い者が居て、後方にはいつまでも追い掛けて来る奴が居

る、よって詮方ない、今日もこうして追い掛けっこの真

っ最中である。そんな恒常的な青息吐息の中で、曲がり

なりにもここまでやって来られたのは、言うまでもなく

優れた作品を快く提供してくれた作家と、それを身銭を

切って評価してくれた皆様のおかげと言う他ない。15

年もやっていると、いい加減自分の経営能力の欠如に関

しては嫌というほど思い知らされているので、これは謙

遜でも何でもなく、単なる事実である。私はただ両者の

間に在って、ささやかな橋渡しをして来たに過ぎない。 

 この画廊通信にしても、始めた時分は随分と意気込ん

で、やたらと浅見を主張してみたり、小難しげな事を賢

しらに書き立ててみたり、寸言めいた物言いで格好付け

てみたりと、要するに何か大層な事を言って、人様に認

めて欲しかったのだろう。今だってその辺り大して成長

はないが、ただ美術に向き合う姿勢だけ、少しは成長し

得たかと思う。私のこの雑文を、仮に広く「評論」とい

う分野に位置付け得るのだとしたら、私は長くこの評論

と言われるものの本質は「私的曲解」に尽きると考えて

いた。「公的正論」なるものが有るとして、そんなもの

には何の意義もない、「私は」こう見た、「私は」こう

読んだ、という「私の」捉え方こそが批評ではないか、

たとえそれが世には曲解とされるものであったにせよ、

そう信じて疑わなかった。しかし、その「私」というも

のが実にあやふやで頼りなく、誠に詰まらないものだと

いう冷厳なる事実に、年を経る毎に思い及ぶに連れて、

この「私は」という主語自体が、狭隘な驕りに過ぎない

と思えるようになった。所詮優れた芸術の前で、私の解

釈云々といった類いは、おこがましい謬見でしかない。

 仏典に「如是我聞」という言葉がある。「かくの如く

我聞けり」の意だが、私は今、芸術に向き合う姿勢を問

われたとしたら、迷わずこの言葉を挙げたい。出来れば

「我」も要らない、「かくの如く聞けり」、これで充分

だ。一切の余計な私心を交えず、ひたすらに作家の声を

「聞く」、絵画ならその画面から発せられる声を、音楽

ならその音から響き出す声を、文学ならその文章から滲

み出す声を。作家が作品に託したそんな本当の声に、た

だひたすらに耳を澄ませた時、その作品からはそのまま

作家という人間が、彷彿と浮び上がるだろう。その声を

拙くも伝えゆく事が出来たとしたら、それがいささかの

橋渡しに携わる者の、せめてもの為し得る仕事である。

 

 私事が長くなった、舟山さんに話を戻したい。舟山さ

んはこの画廊で、最も早くからお付き合い頂いて来た作

家の一人で、記録を見ると開設して1年半頃に、初回展

を開催している。2回展以降は12月の会期がほぼ定着

して今に到るので、舟山さんと言えば冬のイメージがあ

るけれど、初回だけは初夏の開催であった。上述のよう

に15周年という区切り故、今一度原点を振り返るのも

悪くはないと思うので、当時の事を記した拙文にしばし

お付き合い願いたい。以下は12年前の画廊通信から。

 

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 初回展のタイトルは「アンダルシアのサーカス」、案

内状には「出」と題された作品を使わせて頂いた。サー

カスの出を待つ若者、顔を上げてしっかと宙を見据える

その目には、哀しげなある決意が秘められて、ピンと張

り詰めた強い意志が、画面を見事に貫いている。それを

見た瞬間、「この絵に心動かされて見に来る人は、必ず

居る」と直感した。何故なら、その案内状を見て心動か

されたのは他でもない、まずはこの私自身だったから。

 初日にご本人から電話があり、「なかなか売れないと

思いますが、よろしくお願いします」とのご挨拶、とて

も全国に熱心なファンを持つ画家とは思えないような、

その謙虚な言葉に恐れ入りながら、「売れなかったら私

のせいですから」と申し上げたが、私は自分の直感を信

じていた。真の美術ファンが必ず来る、その人にこそ篤

と見てもらいたい、そんな願いと共に始まった3週間の

会期、予想通りの愛好家に数々の賞讃を頂き、その割に

結果が正比例しなかったのは私の力不足として、熱い共

感の輪は、静かに確実に広がったのではないかと思う。

 私事になるが、この時の会期中に妻が入院して手術を

受け、個展閉幕の前日に退院した。だから私の中では、

舟山さんの個展は妻の入院の記憶と重なっている。その

間、障害を持つ娘を隔日で施設に宿泊させる事になり、

開店・閉店の前後に車で送迎をしたりと慌ただしい日が

続いたが、不思議と私は坦々と平常のままに、日々をこ

なす事が出来た。今にして思えば、いつもそばには舟山

さんの絵があって、知らず知らずの内にそれらの絵と、

言葉のない対話を交わしていたのだろう。絵に励まされ

癒されたと言えば、あまりに月並みに過ぎるが、力を持

った芸術は見る人の意識するしないに拘わらず、その生

に見えない影響を及ぼすものである。そしていつか私は

会った事のない舟山さんと(この時点では、まだ一度も

お会いしてなかったのである)、絵の中でお会いしてい

た。出を待つ若者、憂いに沈む少女、もの想うアルルカ

ン、星降るサーカス小屋、それら全てが、舟山さん以外

の何物でもなかったので。画家が何をどのように考えて

今に到ったのか、何処をどう生きてその特異な個性を確

立したのか、その一切を私は知らない。しかし、知らず

とも絵の中の声に虚心に耳を傾ければ、そこには隠しよ

うもない画家の素顔が、有り有りと映し出されていた。

 さて、展示会もあと数日を残すのみとなった頃、舟山

さんより一本の電話が入った。夕方にちょっとだけ寄り

ます、とのご連絡である。すわ一大事と店内をウロウロ

している内に早くも陽は落ちて、後は来訪を待つばかり

となったその刹那、不意に作家は見えられ、直後不意に

帰られた。その間ほんの数分、風のように来たりて風の

ように去りぬ、僅かに二言三言を交わしたのみ。何処の

画廊でもそうである事を知ったのは後日の話で、この時

は用意していたお茶も出せず、画家去りしその跡に、独

り呆然と佇むばかりであった(ちなみにお茶出しに成功

するまでには、それから更に数年を要したのである)。

 

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 こうして書き写していたら、ああ、あの時も、作家の

声は聞えていたんだなと、少しだけ自分を見直した。思

ったより、愚かではなかった模様である。上記からもお

分りのように、舟山さんは人前に姿を見せない。よって

作家来廊日も無い。だからどんなファンであれ、作家像

はその作品から推し量るより他ない。ただ、物静かで寡

黙なその外貌とは裏腹に、そこから発せられる声は誰よ

りも雄弁である。だから絵の前に立つ人は、ただひたす

らに耳を澄ませば良い。きっと澄ませる程に、そこから

は或る不思議な歌が津々と響き出す事だろう。もしやそ

こにあの透明な憂いを聞く事が出来たとしたら、それは

かつてラヴェルも聞いただろう、あの歌かも知れない。

 

                     (17.11.23)