【図3】自画像        油彩 / 30P
【図3】自画像        油彩 / 30P

画廊通信 Vol.172        ロスト・ポートレイト

 

 

 藤崎孝敏という画家をよく知る人なら、上記のタイトルから示唆されるものが有るだろう。何しろ、せっかく描き上げた肖像画を、何が気に食わないのか知らないがいとも簡単に消し潰してしまい、また新たな肖像画に挑み始める等という事は、藤崎さんの場合は日常茶飯事なのである。展示会が近くなると、よく新作の画像を藤崎さんは送ってくれるのだが、その中にとても魅力的な女性像が入っていたりする。ところが、胸躍らせていざ会場に足を運んでみると、どこをどう探してもその絵が見当らない。はて、どうした事かと思ってご本人に尋ねると、ああ、あれはどうも納得がいかなくてね、潰しちゃいました、という返事である。最初の頃は、どうしてあ

んなに良い絵を…と、その暴挙とも言える行為に驚いた

ものだが、色々とお話を聞いたり資料に当ったりしてい

る内に、そんな事でいちいち驚いていたら身が保たない

という事を知った。何の事はない、それこそがこの類い

稀なる画家の、絵の描き方に他ならないのだから。しか

も、その無慈悲な抹消行為は一度で終らない事も多々有

って、消した絵の上に描き直された新しい見事な絵が、

またしてもアッサリと抹消されてしまったりする。そう

して、いつしか藤崎さんのカンヴァスには、ついぞ日の

目を見る事なく消え去った哀しいポートレイトの、不可

視の層が形成されるのであった。というような事を、私

は一つの知識として心得てはいたのだが、つい最近、百

の知識も一の体験には如かずという世の道理を、身を以

て知る出来事があった。それについて書きたいと思う。

 

「日本はまだ暑いのでしょうか?此方は短い夏も終わり

気温も20度を超えません。取り敢えず新作の写真送り

ます」、ブルターニュの藤崎さんからこんなメールが入

ったのは9月の半ばだった。かねてより、今回の案内状

は人物像で行きたいと考えていたので、私はこのように

返信を差し上げた。「お久しぶりです。こちらも徐々に

涼しくなって来ました。送って頂いた画像の中では、農

夫の肖像が力強くてとても良いと思ったのですが、案内

状にどうでしょうか?」、どっかと腰を下ろし、何か鬱

屈を秘めた表情でこちらを見据える農夫、素朴で野趣溢

れる絵だった。一週間が経過した頃、画家より返信があ

った。「農夫の作品潰してしまいました。迷ったのです

が、どうしても薄っぺらな感じが抜けなくて…。今のと

ころ、食事する女を描いています。良いものになるかど

うか分りませんが、何となく気持ちは良いものがありま

す。まだ途中ですが写真送ります」、この時の画像が右

に掲載した【図1】(注:ここでは省略)である。翌日

にはこんなメールが届いた。「食事をする女、結局これ

も潰して、友人の肖像画を始めました。私の食事のイメ

ージは、やはり男でなければならない様です。また写真

送ります」、以下は私の返信である。「農夫の作品も食

事をする女も、私には迫力ある表現に見えましたが、相

変らずガンガン潰しておりますね。友人の肖像画、楽し

みにしております」、翌朝パソコンを開けるとこんなメ

ールが届いていた。「必死に食べてる顔してくれと言っ

たら、凄まじい顔するので、悪いなと思いつつ思いっ切

り笑ってしまいましたよ。パリ時代からの友人ですがお

互い随分老けました。仕上がってはいないのだけど…。

もう潰す気力ありません」、添付されていた画像が右の

【図2】(注:ここでは省略)、例の、友人の肖像であ

る。かつてのパリ時代の作品に、幽鬼のような人物が貧

しい食事をむさぼり食らう凄絶な絵があって、今回の新

作はそこまでではないにせよ、あの時代の鬼気迫る表現

を彷彿とさせる作品だった。「グッと動きのある表現で

すね。今、こんな凄みのある絵を描けるのは、間違いな

く藤崎さんだけでしょう。もう潰す気力がないとの事、

安心しました。完成の日が楽しみです」。

 

 それから10日程を経た10月の初旬、藤崎さんから

連絡が入った。「人物像の事で遅れています。イヤァー

流石にもう私の性格疲れました。あれから5~6度やり

直してしまいました。今日も続けるつもりですが、もう

案内状には間に合わないと思うので、他の作品でお願い

します。全く申し訳ない。乾かす時間も考えてギリギリ

までやってみるつもりです。最近作品に少しでもわざと

らしさを感じると、潰してしまいます。歳のせいでしょ

うか…」。数日後の朝、出社すると待ちに待った画像が

届いていた。数点の新作画像の中にあったその人物像を

目にした時、藤崎さん、遂にやりましたね!と、思わず

独りごちてしまったのだけれど、間に合わないと言いな

がら、律儀に間に合わせてくれたその作品が、【図3】

(注:この頁上部に掲載)である。見事な人物像だっ

た。粗野な外套に身を包んで腰を掛け、枯れた向日葵を

手にする一人の男。たぶん自画像であろう、どこか生き

る疲労を滲ませたその顔は、長い歳月を歩いて来た者の

孤愁を色濃く漂わせ、それでも何か強靭な芯を秘めてこ

ちらを見据える。「大変にお疲れ様でした。良い作品を

ありがとうございます。皆それぞれに味のある作品です

が、ここは何と言ってもあの人物像(素晴らしい自画像

ですね)を案内状に使わせて頂こうと思います。おかげ

様で、今回も強力なラインアップになりました」。

放心して遠く物想うような、その質朴の佇まいを見てい

ると、力強い大地の匂いが漂って来るような気がした。

ならば、どうしたって個展タイトルには「大地」という

言葉を入れねばならぬ、そう考えて無い頭を絞ってひね

くり出したのが、今回の「流浪の大地から」というタイ

トルである。個展紹介の文面も、その人物像や他の風景

作品を見ながら、自ずと浮んで来た言葉を、綴ったもの

だ。よろしければ今一度、案内状を読み返して頂ければ

幸いである。自画自讚も何だが、掲載作品と個展タイト

ルと紹介文面が絶妙のマッチングを見せているではない

か。良し、決まった!と思った。早速私は版下原稿を作

成して千葉駅ビルのラボへ行って画像をプリントし、そ

れを色見本として同封した上、印刷会社への発送を済ま

せたのである。しかし今にして思えば、私はこの時点で

はまだ、藤崎孝敏という画家を甘く見ていたのだった。

物語は、これからだったのである。

 

 日を置かず、こんなメールが入った。「案内状の作品

の事ですが、色彩と構図がどうしても気になるので、ま

たいじっています。案内状の作品と違ったらまずいです

よねー」、迂闊にも私はこのメールに、次のように返し

てしまった。「あれからまた手を加えたと説明すれば済

む事なので、多少違っても大丈夫です」、つまり「多少

違う程度だろう」と高を括っていた訳である。弁解をす

る訳ではないが、誰でもそう考えるのではないか。通常

の画家であれば、既に印刷に出してしまった作品を大幅

に改作する事など、有り得ないのだから。しかし私はそ

の時、最も肝要な事実を忘れていた。つまり、私の今付

き合わせてもらっている人は「通常の画家」ではなかっ

たのである。翌々日、運命のメールが届いた。「終わり

ました。最終です。後は乾くかどうか…」、添付されて

いた画像が【図4】(注:EXHIBITIONの頁に掲載)で

ある。実を言うとこの時、とても嫌な予感がしたのだ

が、まさかそんな筈はないとその不吉な推量を打ち消し

て、私はこう返信した。「この自画像も味のある渋い作

品ですね。先日の作品は印刷に出しました。インパクト

のある最高の案内状になると思います」、間を置かず届

いたメールで、私は藤崎さんの真の恐ろしさを知った。

「解ってらっしゃると思いますが、その作品を描き直し

て最終の自画像になったんですよ。という事であの作品

は存在しないんです。ほんと申し訳ない!」、前代未聞

の事件である。これを読んだ私の驚愕と落胆を分って頂

けるだろうか。それを書くと優に数ページを費やすので

略すが、「またいじっている、とのメールでしたので、

部分的な修正とばかり思っていたのですが、まさか全く

違う絵になってしまっていたとは思いも寄りませんでし

た。良い作品でしたし展示会のタイトルもあの絵に合せ

て考えたので、絵そのものが消滅してしまったとは誠に

残念です」と、失意の中で返信を差し上げ、再度駅ビル

のラボへ行って新しい画像をプリントし直し、急ぎ印刷

会社に原稿の差替えを依頼して事なきを得たのだった。

無論この新たな作品も、作家の気迫が真っ向から伝わっ

て来て絵としては申し分ないのだが、残念ながらタイト

ルや文面との整合性が微妙にずれてしまったのは、以上

のような理由からである。今回皆様にお届けした案内状

は、そんな顛末の果てに完成したものだ。さて、通常は

ここで結びとなるのだが、何しろこれは通常の物語では

ない。物語はまだ続くのである。

 

 数日後にメールが届いた。「空間の意味を出すために

手の位置を変えました。これで決めます。案内状には問

題ないと思います。随分うんざりさせましたね、申し訳

ない!」……もう、驚かないのである。私は学習した、

ジタバタしない。【図5】(注:ここでは省略)がその

修正作品だが、なるほど手と背景が変っただけだ、ノー

プロブレム。翌日、私は作家の許可を頂くために、こん

なメールを送信した。「画廊通信の事ですが、今回は私

の詰まらない長話よりも、この自画像が出来るまでの過

程を書きたいと思います。つきましては、メールと画像

を引用させて欲しいのですが…」、すぐに返信が来た。

「お任せします、お好きなように。ところで、またやっ

てしまいました!今回は満足しています。もういじりま

せんので安心して下さい」、添付画像を見ると、全く別

な絵になっている。私は唸るほど感嘆した。負けたと思

った。ここまでやってもらえれば、却って爽快である。

もう矢でも鉄砲でも持って来い、バンバン変えて全然違

う絵になっちまっても構うこたあねえ、ジャコメッティ

に比べりゃあ余程マシだ、たかだか6~7回変ったぐら

いでオタオタしてる方が未熟なのだ。ノープロブレム。

やれ、やれ、もっとやれ!……失礼、少々取り乱したよ

うである、ご容赦を。そんな訳で前代未聞ながら、皆様

の手元にある案内状の絵は、今は無いのである。それは

【図6】(注:ここでは省略)へと変化を遂げた訳だが、

改めてその変遷を顧みると、絵が新たな変貌を遂げる毎

に人物像の孕む強度がより増しているのが分る。紆余曲

折の果てに辿り着いた最終型は、見る者が思わずたじろ

ぐ程の気迫を放つ。まあ「最終型」とは言え藤崎さんの

事だから、この絵が画廊に飾られる段には、もしや手の

位置ぐらいは変っているかも知れない。

 

「格闘」という言葉にも様々な段階があるものだ。昨今

は素人画家でさえ、格闘という台詞を使う。振り返って

今、私は本当の「格闘」を目撃し得た至福を思う。今回

は一枚のカンヴァスを前にした画家の、紛れもない格闘

の現場を、正に実況中継で見せて頂いたようなものだ。

その一枚の絵を追求する唖然とするような執念、徹底し

て妥協のない姿勢には、ただただ脱帽するのみである。

そんな一枚の作品を生み出す作家の苦闘に比べれば、私

共画廊の些細な手間などは、実に微々たるものだ。世の

画家が一枚の作品を大切にいたわりながら、後生大事に

筆を重ねゆくその間に、藤崎さんは潔い破壊を繰り返し

何度も何度も一から出直すのだ。おそらくは、これでも

ダメだ、これでもダメだ、そんな際限のない自問自答の

果てに、一枚の血潮みなぎるが如き絵画が完成する。藤

崎作品に特有な、あのダイレクトに訴えかける強度は、

そんな真摯の格闘の中から、我知らず滲み出たものに違

いない。その成果が、幕を開ける時が来たようである。

 

                    (17.10.29)