画廊通信 Vol.169 甲州八景
榎並さんの個展は、今回で早くも9回目となる。今まで色々と書き散らかして来たので、9回目ともなれば最早書く事がない。ならば、もうやめればいいじゃないかとのご意見ごもっとも、しかし、やめればやめたで何だか手を抜いたように思われそうなので、こうして相も変らず四苦八苦している訳である。だいたいこんな面白くもない雑文を、いったい何人の人が読んでくれているのだろう。たぶんそんな奇特な方は10人に1人も居ないだろうと踏んでいるが、それでもたまに「今回の画廊通信、とっても面白かったです」などとご厚意の言葉を戴くと、「あ、そうでしたか」とごく平生の気にも止めな
い風をして、その実内心では相好崩して喜んでいるのだ
から、どうにも心根はさもしいようである。それはさて
おき、知ったような事は既に散々書いて来た事だし、今
回は謙虚に身の丈で書きたいと考えていたら、昨日ふと
「甲州八景」というタイトルが浮かんだので、それで行
く事にした。これは、敬愛する太宰治の「東京八景」に
倣ったものだが、要は今までの榎並さんとのお付き合い
を、時々の風景に託して書いてみようとの魂胆である。
思い出す最初の風景は病室である。インターネットで
榎並さんと知り合い、作品資料を一個口送って頂いた翌
日に、私は緊急の入院となってしまった。のっけから甲
州とは縁のない景色で恐縮だが、それが榎並さんとの交
流を振り返った時、まずは思い浮ぶ光景である。この時
は入院が長期に及んだので、画廊に置いたままになって
いた資料を持って来て欲しいと頼んだら、翌日「重いの
よねえ」とブーブー言いながら、妻が病室まで箱ごと運
び込んでくれた。おかげで私は送って頂いた様々なファ
イル等を、心ゆくまで堪能する事が出来た訳だが、長ら
く留め置いてしまったその資料を、退院後にやっと返却
申し上げたところ、こんなお便りをご本人から頂いた。
「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が
着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物を
見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりました。
でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました」、
それから程なく、私は甲府の榎並宅にお伺いした。晩春
の陽光を浮べた穏やかな川面を渡り、川沿いの道を折れ
た細い路地のどん詰まりが、何やら鬱蒼とした緑陰とな
っていて、その樹下に目指す画家のアトリエは在った。
一見して簡素なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるか
のような古い家具が、諸所にさりげなく置かれている。
初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の賢人といった
風情、制作途中の作品が幾十も立て掛けられたアトリエ
を案内して頂いた後、自ら鉄瓶にごとごととお湯を沸か
して、香り立つアールグレイを淹れてくれた。開け放っ
た窓から、川面を渡って来た薫風がそよぐ中で、低く流
れるバッハのクラヴィーア曲を聴くともなく歓談させて
頂きながら、いつしか素敵な時が流れた。緑陰のアトリ
エと心豊かな茶葉の香り、私の忘れえぬ第二景である。
その年の暮れ、銀座のあるギャラリーで、私は初めて
榎並さんの個展を拝見した。ちょうど作家も在廊してお
られたので、色々と興味深いお話を聞きながらの鑑賞と
なったが、この頃の作品は聖書に題材を求めたような、
直接的に宗教性を感じさせるものが多かった。どちらか
と言えば近年は、殊更に宗教的な題材を描かずとも、ご
く日常の風景の中に、何か遥かなものを感じさせるよう
な描き方をされる事が多くなったが、「こたえてくださ
い」「おおいなるもの」といったタイトルに象徴される
この頃の作風も、当時既に流行となっていた美麗な写実
表現とは一線を画して、精神の重みを十全に湛えたもの
であった。「シルクロードの西域に行くと、長年の間に
東洋と西洋が融合してしまい、いったいキリストなのか
釈迦なのか判然としないような壁画もある。削り取られ
て一部が残っていたりするんだけれど、それがまたいい
んです」、そんなお話を聞きながら拝見する内に、宗派
に拘らず人間が本来持つだろう素朴な祈りの形こそ、榎
並さんの根幹を成す精神である事を、私は理屈ではなく
実感する風であった。折しも来店されていた女性が「ち
ょうど今頃、クリスマスにぴったりの絵ですね」と声を
掛けて来られて、「ええ、それを当て込んでるんですけ
どね」と、宗派を超えた形而上派は意外と洒脱である。
この後しばしの歓談となって、「何のかの言っても、写
実派の技術は凄い。どうせならもっと細かく細胞レベル
まで描き込んで、よく見たらミトコンドリアまで描いて
あったというのはどうだろう」とおっしゃるので、「そ
れじゃあ、展示会場に電子顕微鏡が必要になりますね」
と笑った。これも舞台は違うのだけれど、作家の巧まざ
るユーモアに免じて、私の八景に加えさせて頂きたい。
2009年7月、当店における初個展である。この時
買って頂いたお客様は全て、榎並和春という画家を初め
て知ったという方々だったが、皆深く共感してお買い上
げ頂いた。たとえ初めてであれ、自分の眼を信じ、良き
ものは良いと認め、大切な私財を一枚の絵に投じる、そ
んなお客様の芸術的勇気と意気に支えられて、私はここ
まで来られたようなものだ。この時は、ある年配のご婦
人が印象に残った。昨年主人が他界して、まだ仏壇も買
ってなかったけれど、考えてみれば古めかしい仏壇にお
金を使うよりは、主人の思い出になるような絵を買った
方がいい、その方が主人だって喜ぶでしょうと、つい先
日、他作家の作品を買って頂いたばかりの方である。猛
暑の中を見に来てくれて、数日後には作家にも会いに来
てくれたのだが、何しろこの間お買い求め頂いたばかり
だったし、安易にお薦めするのも憚られる状況だった。
それが最終日にまたひょっこりと見えられて、2点ほど
の作品を見比べながら、ウ~ンと思案されている。結局
「他に売れてしまうのが嫌だから、これ戴きます」と、
「陽気な音楽家」という作品をお買上げ頂く運びとなっ
た。笛を吹くアルルカン、とても洒落た作品である。仮
にIさんと呼ばせて頂くが、Iさんは翌年も見えられ、
この時はちょうど娘さんに、双子の女の子が出来たとの
お話、二人共に花の名前を付けられたそうで、これは初
孫にぴったりねという訳で、「野の花をつんで」という
作品をご購入頂いた。野の花のブーケを抱く女性、春風
のような絵である。後日ご自宅まで取り付けに伺い、ぴ
ったり同サイズだった事もあり、同じ壁に昨年の絵と並
べて掛ける事となった。そんな訳で現在Iさん宅には、
笛を吹くアルルカンと花を抱く婦人像が、まるで夫婦の
ように仲良く並んでいる。この後もIさんには榎並作品
を贔屓にして頂き、感謝に堪えないのだけれど、思えば
この一年ほどはご尊顔を拝していない、元気にしておら
れるだろうか。今も私のカメラには「野の花をつんで」
を真ん中に両脇で微笑む、作家とIさんの写真が残され
ている。これもまた私の、大切な心温まる一景である。
「甲州八景」と銘打った割には舞台の違う話ばかりなの
で、画家の在住する甲府の地について、この辺りで文豪
に語ってもらおう。以下は太宰治「新樹の言葉」から。
『甲府は盆地である。四辺、皆、山である。大きい大き
い沼を搔乾(かいぼし)して、その沼の底に畑を作り家
を建てると、それが盆地だ。沼の底、なぞというと、甲
府もなんだか陰気なまちのように思われるだろうが、事
実は、派手に、小さく、活気のあるまちである。よく人
は、甲府を「すり鉢の底」と評しているが、当っていな
い。甲府はもっとハイカラである。シルクハットをさか
さまにして、その帽子の底に小さい小さい旗を立てた、
それが甲府だと思えば間違いない。きれいに文化の、し
みとおっているまちである』、ここまで往年の大家が賞
讃するのだから、もしや榎並さんの何処となくハイカラ
なあの作風も、甲府という町ゆえなのだろうか。やっと
話が甲州めいて来たので、再度舞台を榎並宅に戻せば、
こんな事があった。他愛もない話なので、いつの事だっ
たか最早定かではないが、奥様に作って頂いた美味しい
お料理をたらふく戴いた後、小用にトイレをお借りした
のである。用を終えて立ち上がったら、お尻の辺りが何
故か急激に冷たくなった。何だろうと思って振り返り下
方を見てみたら、折しも便器の奥からウォシュレットの
長いノズルが、ピューピューと勢いよく水を噴き出しな
がら、ニューッと伸びて来ているではないか。ヤヤッ、
何だ何だ、スイッチなんか押してないぞ、と抗議しつつ
とっさに考えたのだが、もしこの水を避けて身を除けれ
ば、この水鉄砲のような噴射で、トイレは水浸しになる
だろう。しかし、このままいたずらに水に打たれている
と、私も水浸しになるだろう。さて、どうしたものかと
結論が出ないまま中腰でマゴマゴしていたら、ひとしき
り噴射して満足したようで、徐々に水の勢いを減衰しつ
つ、ノズルは元の格納場所へと静やかに縮んで行った。
後で思ったのだが、またパンツを脱いで座れば良かった
のである。そうすれば私もトイレも、両者共に水害を免
れたのだろうが、もう後の祭りである。仕方なくビショ
ビショのパンツのまま客間に戻り、「ウォシュレットに
やられました。トイレ壊れてませんか?」と申し上げた
ところ、「いや、壊れてない筈だけどねえ」と、榎並さ
ん平然としている。「お尻がビショビショですよ」と嘆
いたら、奥様が極めて真面目に「パンツ、お貸ししまし
ょうか」とおっしゃるので、あわてて「いえ、それには
及びません」と、辞退申し上げたのだったが、ちょうど
猛暑の真っ盛り、何しろ甲府は盆地ゆえ暑さも半端では
なかったので、帰りの車中は臀部がメントール的にほど
よく冷えて、却って爽快であった。くだらない話で非礼
お詫びするが、榎並家の魔のウォシュレット、これも私
には忘れ難き一景となった。ちなみに、何ゆえトイレか
ら謂れなき奇襲を受けたのかは、今もって不明である。
要らぬ油を売っている内に、気が付けば紙面も残り少
ない。中央高速をひた走り、大月ジャンクションを過ぎ
て笹子トンネルを抜けると、緩やかな下り坂がしばらく
続いて、やがてなだらかな山々に囲まれた甲府の町が、
見晴るかす彼方へと眼下に広がる。日が落ちた頃にこの
道を通ると、町の明りが本当に綺麗ですよ、と何人かの
お客様に聞いたが、さもありなんと思う。正に太宰治が
語る通り、それはシルクハットの底の満艦飾を思わせる
だろう。しかし無念にもその辺りを走る時刻は、いつも
灼熱の白昼である。いつの日か宵のとばりが下りて、町
に明りの灯る頃に、この道をゆったりと走る事が出来た
なら、それは甲州八景を代表する光景となるだろうに。
榎並さんが毎年個展を開くギャラリーは、ちょうどその
甲府盆地の端辺りに位置するのだろうか、すぐ背後には
緑を豊かにはらんだ丘陵が迫る。同じ敷地内には瀟洒な
カレー店も在って、そこで戴くカレーもまた美味しい。
この麗しき山里のシチュエーションで一景、ついでだか
ら太宰治にちなんで、帰路の右前方、御坂山系の後方に
覗く、富士の高嶺にも一景を投じれば、これで計は七景
というところ。残りの一景は、来たるべき今期の第9回
展に向けて、楽しみに取っておこう。甲府においてか、
あるいはここ千葉の地においてか、それは知らないけれ
ど、必ずやまた新たなる美しい一景が、甲州八景完結の
ピースとして、参上の機会を待ち兼ねている筈だから。
(17.08.03)