画廊通信 Vol.159 再会の日
シロが死んで3年になる。シロとは我家に居候していた猫の名で、元々野良猫だったのが勝手に住み着いてしまい、13年もの間起居を共にしたが、最後まで出たり入ったりの半野良だった。「如水の交わり」という言葉があって、君子の交わりは水の如く淡いの意らしいが、今にして思えばシロとはちょうどそんな関係で、いい付き合いだったなあとつい美化して思い返すのだけれど、実のところは共に君子なんかである筈もなく、何の事はない、大して可愛がってなかっただけの話で、シロにしたって身勝手を地で行っていただけの事だ。
こうして書いていると、徐々にあのウンザリした気分
がよみがえって来るのだが、何が面白いのやら四六時中
ケンカばかりしていて、近所の野良連中と一戦やらかし
ては血だらけになって帰還するので、その度に病院に連
れていかなければならず、その割には一かけらの恩義も
感じてなかった模様で、その薄情ぶり見事というほか無
かった。所詮「恩返し」などというのは鶴の世界だけの
話で、「感謝のカの字も無い」という性格が本当に有る
のだという事実に、私は何度も軽い驚きを味わったもの
である。どういう成り行きかは忘れたが、勝手に私を夜
食係と決めてしまったようで、2時か3時になると必ず
起しに来るものだから、10年以上もの長きにわたって
私は熟睡がほとんど出来なかった。それでいて、外で会
うと他の猫への見栄があるのか、人間に可愛がられてい
るところを見られたくないらしく、ニコニコと頭でも撫
でようものなら「シャー」と牙をむいて来て、あの眠い
さなかに猫缶を空けてあげた私の優しさは何だったのか
と、哀しい思いをさせられた事、幾たびあった事か。
結局役に立った事といえば、この画廊通信に何度か話
題を提供してくれたぐらいの事で、後は徹底して何の役
にも立たず、それだけならまだいいが、途中からは手下
をこっそり家の中に引き入れては、自分の食事を分けて
あげたりしていて、たまたまその場面に出くわすと、汚
い野良猫が奥からダダダダッと飛び出して来たりするも
のだから、その義侠の行いがあえなく発覚するハメにな
るのだった。まあ、俠客気取りで手下を養うのは勝手だ
けれど、こちらにしてみたら何の関係も無いそいつの分
まで、何度も要らぬ出費をさせられていた訳で、こうし
て思い返すほどに沸々と腹立たしい。この傍若無人・唯
我独尊・放蕩無頼・得手勝手、あと5つぐらい並べられ
そうだがさておいて、この誠に非情な一見無敵を誇るか
の如き猫にも、ただ一つ、と言うよりはただ一人、避け
るべき天敵が居た。私の娘である。
娘はとうに30を超えるのだが、未だ幼児の面影を残
したままなので、人には如何ほどに見えるのだろう、小
学校の高学年といった辺りだろうか、いや、もう年齢と
いう概念を超えて、大きな幼児と言った方が妥当かも知
れない。この場合、幼児としては大きい、という意味で
あって、成人としてはよほど小さいのだが、それにして
は下膨れの比較的大きな顔で、何となく幼児がそのまま
大きくなってしまった感がある。知的にも幼児のままだ
から、年齢にすれば2歳から3歳程度なのだろうか、し
かし、発語が全く無いところを見るとそれ以下かも知れ
ず、一方で良きにつけ悪しきにつけ変に大人びた行動を
見せる事もあり、本当のところどの程度なのかは、身近
に居ても良く分らない。小学校低学年の頃にやっと少し
歩けるようになって、むろん短距離であれば今だって歩
けるのだが、普段の行動範囲がごく狭い事もあり、いち
いち立ち上がって歩くのも面倒なようで、家の中はもっ
ぱら這い這いで移動しているのだけれど、これが何かの
弾みで気分が高揚している時などは、やたらと早い。そ
の時も娘は勢いよく這い這いをしていて、このまま行け
ばぶつかるだろうというその線上に、シロが例のごとく
我関せずという風で、のうのうと眼を細めつつ横たわっ
ていた。要するに、娘の直進コースを勇敢にも塞いでい
た訳である。この場合勇敢と言うのか馬鹿と言うのかは
知らないが、人間が突進して来るのだから素直によけれ
ばいいものを、今までは人間の方が親切によけてくれて
いたものだから、今回もそのパターンで行けると猫なり
に判断して、動かざること山のごとし、泰然自若の行動
に出たものと見える。しかしそこが猫知恵の浅はかさ、
娘には猫の論理など通用する筈もなく、案の定バタバタ
と一直線に迫り来た娘に、まるで余計な障害物の如く、
その体をあっけなくグニャリと踏まれた上に、ノシノシ
と乗り越えられて、シロあまりの驚きに「ニャ」と飛び
退いて、すっ飛んでベランダから外へジャンプして退散
したっきり、そのまま一晩帰って来なかった。その後は
さしものシロも、娘には猫識(猫の常識という意味であ
る)が通用しないという教訓が身に染みたようで、娘が
来ればサッと身をかわして席を外し、娘との間に微妙な
距離を取るようになった。娘は娘でそんな猫の改心など
知る由もなく、これもまたシロ以上に我関せずといった
風で、同居者には全くの無関心を装いつつも、ごく自然
に両者の共生関係が出来て行った。それでもシロが視野
の中に居ると、それはそれで決して不快ではなかったよ
うで、時折とても優しい微笑みをシロに注いだりしてい
たから、その存在は彼女なりに認めていたのだと思う。
そのようにして、13年という歳月が流れて行った。
シロが死んだ事を、娘がどのように捉えていたのかは
知らない。いつの間に生活圏から居なくなって、何だか
おかしいなとでもいう風に、いつもシロが居たクッショ
ンの辺りに目をやったりしていたが、その内にふと気が
付くと、その場所を見て嬉しそうに笑っていたりする。
こういう場合、待っていても何も教えてくれないので、
こちらから質問をしなければならない。何故か私が聞い
ても答えてくれないものだから、質問役はいつも妻であ
る。「そこに誰か居るんですか?」、答えない。「それ
は人間ですか?」、やはり答えない。「それはシロです
か?」、やにわに手を上げるので、それでシロがそこに
来ている事が、判明するという次第である。一つお断り
しておきたいのだが、私はオカルトやスピリチュアルの
類いを無条件に信じ込むような、そんな純粋にして素直
な人間ではない。何ごとにも疑り深く、かなりひねくれ
ている方だと思う。しかし、そのような話が信頼出来る
人の口から出た場合は、素直に「そんな事もあるのだろ
う」と受け入れるようにしている、やはり世の中には、
不思議な事が幾らでもあるだろうから。よって、娘はあ
まり嘘を付くタイプではないので(何しろ喋れないもの
で)、そういう人間が「そこに居る」と言うのだから、
それはやはり「居る」のだろうと思う訳である。
何回かそんな事があって、その内にシロは空中に浮い
て現れるようになった。なんでそんな事が分るのかと言
うと、娘が空中を見て微笑むようになったからである。
「それはシロですか?」と聞くと、やっぱり手を上げる
ので、きっとそこに浮いているのに違いない、それが順
当な推理というものだろう。仕事上色々とあって、ちな
みに「色々」のほとんどは金銭上の問題なのだが、まあ
そんな事はどうでもいいから委細は省略するとして、い
ずれにしろ暗澹とした心持ちで帰宅した時など、娘が穏
やかな微笑みを浮べて、聞きもしないのに手を上げてい
たりする。あ、またシロが来てるんだなと思ったその時
の気持ち、ホッと柔らかに温かいような、でももう戻っ
ては来ない日々を思い出して、何処となく淡い寂しさが
漂うような、それでいて何か透き通る大切なものが降り
立ったような、そんな言葉にならない不思議な静けさに
満ちた詩情が、一瞬ふっと心の中を通り過ぎる時、私は
いつしか平澤さんの絵を思い描いている。
延々と個人的な話を書き連ねてしまい、平澤さんの話
が随分と遅くなってしまった。毎秋の恒例となった平澤
重信展は、いつの間に今年で13回を数える。画廊が今
月で14年になるのだから、平澤さんは最も初期からお
付き合い頂いている作家の一人である。何度も書いた事
だけれど、平澤さんとの出会いは、ある美術雑誌で作品
を目にしたのが切っ掛けであった。何か心がスッと澄み
渡るものをそこに感じて、恐る恐る電話を差し上げたの
が始まりだったが、それから何度あの枯葉舞う甲州街道
を、アトリエまで往復させてもらった事か。平澤さんも
ルーティンワークを嫌う作家で、常に何か未知のものを
求めて描き続ける画家だから、その表現は様々に変化し
て今に到っているが、しかしその根幹は現在まで見事に
変らない。最初に拝見した時の、濁りのない時空にそこ
はかとなく漂う微細な気配は、現在も平澤重信という個
性の基底を成していて、その軽やかに画面を舞う遊び心
は、平澤さんだけの独自の小宇宙を生み出している。
私は当初から平澤さんの世界を語るに当って、自分で
も意識しないままに「軽やかな哀しみ」というフレーズ
を、今まで何度となく用いて来た。「軽やか」という明
るいイメージの言葉と、「哀しみ」という暗いイメージ
の言葉、通常であれば結び付く事の無い二つの相反する
言葉が、平澤さんの世界では何の違和感も無く、それこ
そ「軽やかに」結び付く。画面の中に有るか無きかに浮
遊する哀しみは、本来は暗く重いものであるのかも知れ
ないが、平澤さんはそんなリアルな情感を、決して直接
的には描き出さない。だから、そのような情感を生々し
く体現する「人間」よりは、猫や鳥といった「動物」達
にその情感を移し替えて、より間接的な表現へと、想い
をしなやかに変化させる。そのような過程を経る事で、
いつしか情感はその暗く重い衣装を脱ぎ捨て、軽やかな
詩情となって画面を浮遊するのである。平澤さんの作風
を見て、「メルヘンの世界ね」と言う方も居るけれど、
私はそうは思わない。そもそもが、メルヘンという言葉
で済むような軽さは、その世界の何処にも見当らない。
「軽やか」である事と「軽い」事とは、言葉は似ていて
も全く異なる概念だろう。ならば、「深い」という事と
「軽やか」である事は、共存出来るだろうか。出来ると
思う、平澤さんの世界の中でなら。とても自由で軽やか
でありながら、何処までも柔らかな深みを湛える世界、
それは今年も晩秋の乾いた風の吹き渡る広場で、同じ想
いに遊ぶ詩人達を静かに待っている。むろんここで言う
「広場」とは、「画廊」の事なのだけれど。
シロはある日を境に、パッタリと現れなくなった。何
処かへ飛んで行った模様である。何故そんな事が分るの
かと言うと、ある日娘が微笑みながら空中の何かを、目
で追っていたからである。それは左から右斜め上へと、
スーッと流れて行った。「それはシロですか?」と聞く
と、やっぱり手を上げていたので、きっとそうだったの
に違いない、それが順当な推理というものだろう。
画廊のデスクの脇には、まだシロの写真が貼ってあっ
て、いつも「よう、シロ」「じゃあな、シロ」と挨拶を
交しているのだが、それも単に習慣になっているだけの
話で、この前などは「そう言えばシロの命日過ぎちゃっ
たわね」と妻に言われて、ああそうだったなと思い出し
たような具合だ。それで良いのだと思う。そろそろ写真
も剝がそう、そうやって時代は移り変わってゆく。その
後には、私の持っている平澤さんの絵を掛けようかな、
軽やかな哀しみが、音もなく行き交うあの絵を。
(16.10.30)