画廊通信Vol.126 BCS-35を求めて
「ダイオウグソクムシ」という深海生物が居る。ダンゴ
ムシを30cmほどに巨大化したような生物だが、その
存在を知ったのはつい先月、インターネットのニュース
記事によってであった。概略するとこんな内容である。
「5年以上も絶食したまま生き続けていた鳥羽水族館の
ダイオウグソクムシが、14日5時半頃ついに死んだ。
2007年にメキシコ湾の海底で捕獲されたものだが、
2009年1月にアジを食べて以降、なぜか一切の食事
を拒否し続けていた。ダイオウグソクムシは、ダンゴム
シの仲間では世界最大と言われ、大西洋やインド洋の深
海に生息して、生物の死骸を食べる事から『深海の掃除
屋』との異名がある。何も食べずに生き続けられるその
驚異的な生態については、今もって解明されていない」
こんな魅力的な記事を読んで、その容姿を見たいと思
わない人は居ないだろう。ご多分に洩れず私も、早速そ
の画像を検索してみたのだが、一目見て激しく心打たれ
た。いったい何なのだろう、ダンゴムシとカブトガニと
ゴキブリを掛け合わせて思いっきり巨大化したような、
その極めてグロテスクでファンタスティックな相貌は。
深い暗黒の海底で、人知れず黙々と掃除に励む真摯な生
き方、常識を超えた極限的にストイックな食生活、そん
な生態にも満腔の敬意と共感を覚えるが、何と言っても
まずはそのフォルムである。実に奇天烈で美しい。何と
言ったら良いのか、古生代はカンブリア紀辺りを思わせ
るような、根源的な愛しさと懐かしさに溢れているでは
ないか。どうしてこんな話をしているのかと言うと、私
は何もダイオウグソクムシの得も言われぬ魅力を語りた
い訳ではない、ダイオウグソクムシに得も言われぬ魅力
を感じてしまう、この自分について語りたいのである。
我ながら判然としないのだが、私にはダンゴムシ状の
形態に弱いという習性がある。「弱い」とは即ち「否応
なく惹かれてしまう」と云う意味なのだが、確かに遠い
幼少の頃、玉になったダンゴムシを手のひらに乗せて、
飽かずコロコロと転がしていた記憶がある。ついでなが
ら、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」を私は高く評価する
者だが、その因って来たる理由を問われれば、一応は作
品の持つ世界観や哲学性について、賢しらに見識ぶって
みたりはするけれど、この際だから正直に言ってしまお
う、実はそんな難しいお話なんて、瑣事瑣末・枝葉末節
に過ぎない。何と言っても「王蟲(オーム)」である。
体長80m!にも達する超巨大ダンゴムシ、終末世界の
象徴=腐海の偉大なる支配者、彼らの威容を見る度に私
は驚嘆し、心打たれ、崇高な畏敬の念に満たされる。た
とえそれが、どんなに深い思想を孕んでいたとしても、
オームの居ないナウシカ物語なんて、フレーバーの欠け
たスコッチ・ウィスキーのようなものだ。まあこれはほ
んの一例で、他にも思い当るケースは多々有るのだが、
ダンゴムシの話に共感してくれる人もあまり居ないだろ
うから、委細は省略するとして、こんな習性を持ってし
まったそもそもの要因については、自分でも全く分らな
い。前世はダンゴムシだったとか、そのような短絡に過
ぎる考察は論外としても、さてこんな説明のつかない奇
態な愛着傾向は、いったい何処から来るものだろうか。
話は6年前の初回「わたなべゆう展」にさかのぼる。
この時は油彩を中心として、50点を超える新作をゆう
さんは準備してくれたのだが、ラインアップ中に4点の
ボックスアートが含まれていて、その中の1点を目にし
た瞬間、私は何故かしら激しい心の震えを覚えた。30
×20cmほどの木箱に、描線の刻まれたアクリル板が
貼られているのだが、問題はその中身である。朱色の大
きなダンゴムシ(状の形態)が入っていたのだ。細い紐
を螺旋状にグルグルとまとい、身体の諸処から太いトゲ
をニョキニョキと突き出して、ただ黙々と箱の中に横た
わっている。じっと見ていると、沈黙の中に何かをそこ
はかとなく語り出すようで、私にはその奇妙な赤い大蟲
が、ゆうさんの魂そのもののように思えた。作品のタイ
トルは「Box Collection S-35 (以降略してBCS-35と呼
ばせて頂く) 」、間髪を容れず「欲しい」と思った。事
実、そのまま何事も無ければ、私は間違いなく買ってい
ただろうと思う。しかしこの劇的な邂逅も突如断たれる
運びとなり、別れを惜しむ間もないままに、彼は作者の
下へと帰って行ってしまった。急遽私が入院となったた
めである。以前の画廊通信に、当時の事を記した一節が
あるので、ここにもう一度それを抄出させて頂きたい。
第1回わたなべゆう展、この記念すべき初個展を開催
した昨春、私は展示会半ばにして緊急入院となり、残さ
れた会期を妻に委ねざるを得ない運びとなった。出来る
だけ妻には画廊に詰めてもらうようにしたが、已むなく
クローズした時間に見えられたお客様もあって、多大な
ご迷惑をお掛けした事、ここに深く陳謝申し上げたい。
その間ゆうさんには、来廊日ではない日にも画廊に来
て頂いたりして、ひとかたならぬお世話になった。入院
して一週間ほどが過ぎた頃、まだかんかん照りの真っ昼
間なのに、妻がひょっこり見舞いに来た事がある。びっ
くりして画廊はどうしたんだと聞いたら、ゆうさんが来
てくれて『俺が店番をしているから、今のうちに病院へ
行って来れば』と言われたので、ゆうさんに任せて来た
──と言うではないか。日本全国広しと言えども、あの
「わたなべゆう」に店番を頼むなどという恐れ多い事を
仕出かしたのは、間違いなく私の画廊だけだろうと思う
と、いよいよ私の病状は快復から遠ざかるのであった。
翌日妻から聞いた話では、この日夕方になって画廊に
戻ると、ちょうど来客が途切れた時だったのだろう、ゆ
うさんは画廊の前に置かれた車止めの縁石にゆったりと
腰を下ろし、暮れゆく空を見ながら悠揚とパイプをくゆ
らしていたと言う。「ありがとうございました」と御礼
申し上げたら「なんだ、もう帰って来たの」と、がっか
りしたような声で言われたとの事、後日退院してから改
めてお詫びの電話を入れさせて頂いたら「俺も初めての
経験で、とっても面白かったよ」と、笑っておられた。
おかげ様でこの時の展示会は、初めての作家だったに
もかかわらず、その上店主が途中から居なかったにもか
かわらず、ゆうさん初め皆様のご好意に助けられて、私
の画廊としては上々の結果となった。あれ以来、何かに
つけ妻が「ゆうさんの個展は私が売った」云々という大
口を叩くので、私としてはすこぶる面白くない。今期、
雪辱の闘いに向けて、私は大いに気を引き締めている。
それから3年半ほどを経た秋の盛り、藤沢市の「湘南
台画廊」において、ゆうさんの個展が開催された。小田
急江ノ島線の湘南台駅で降りて、10数分ほど歩いた閑
静な住宅地に位置する画廊だが、この時はまだ見た事が
なかった初期の大作も出品されていて、それが打ち放し
コンクリートのモダンな建築と相まって、実に斬新な展
示空間が創り出されていた。入口の吹き抜けを過ぎて、
作品を見ながら奥のスペースへと歩を進めた時、ふいに
私は息を呑んだ。居たのである。とっくに売れてしまっ
ただろうと諦めていた彼に、まさかここで再会するとは
思いも寄らなかった。BCS-35── 壁に掛けられたあの
イエローオーカーの木箱の中で、その日も大蟲は人知れ
ず太古の憂いに沈むかの如く、独りじっと黙していた。
「やあ、居たのかい」、旧闊を叙する ── とはこのよ
うな事を言うのだろうか、私は思わず声をかけて、何か
温かいものが胸に流れ込むのを感じながら、しばし沈黙
の内に交感の時を過ごす。しかし、奇跡の再会もそれで
終りだった。連れ帰る余裕の皆無であった私は、自らの
無力にうなだれつつ、そしてもう会う事も無いだろうと
諦めつつ、再度の別離に甘んじる他なかったのである。
油彩・ドローイング・オブジェ等々その表現のいたる
所に、ゆうさん独特の動物とも虫とも微生物ともつかな
い奇妙な生物のうごめく様相を、私達は容易に目にする
事が出来る。彼らの正体を問われたところで、おそらく
は作家本人にも明確な答えは無い。それらは、本人でさ
え認識の出来ない意識の遥かな深みから、我知らず湧き
上がる者達だからだ。ある時はじっとうずくまり、ある
時は微細に顫動し、ある時は勢い良く躍動し、時にユー
モラスに、時にダイナミックに、千変万化の変容を見せ
る異形の生物達 ── 私見ながら彼らは、大地の精霊な
のだ。物理的な大地ではない、それは「わたなべゆう」
という作家の心奥に広がる精神の大地から、鬱然と湧き
上がる数知れない精霊達だ。彼らは地中をうごめき、土
壌を鋤き耕し、生成の滋養で大地を潤し、地気は温かな
風を呼び、やがてそれは見る者の干涸びた精神に、いき
いきとした気流を吹き渡らせる。そして、いつしか私達
の枯渇した土地にも生気が漲り、あの幾多の精霊達が鬱
勃と湧きいで、冷たくひび割れていた精神の荒野は、新
たな滋養でみずみずしく蘇生する。換言すれば、彼らは
「わたなべゆう」という魂のかけら達だ。作家の魂は幾
千もの小片となって、作品のいたる所に撒き散らされ、
いつしかそれらは数限りないあの精霊となって、黙々と
それぞれの地を潤す。やがて満たされた沃野に豊饒の風
が歌う頃、数多の精霊達は力強い大地の鼓動に乗せて、
未だ見も知らぬコズミック・ダンスを踊るだろう。私は
一度あのBCS-35を、思いもかけず夢に見た事がある。
そこでは彼は、長い雌伏の眠りから目覚めて、勢い良く
蠢動してのたうち、雀躍と大地の歌を舞い踊っていた。
昨年の展示会に際して、設営のため画廊まで来て頂い
た折に、まあ居る筈はないだろうと内心諦めつつも、私
は念のためゆうさんに、 BCS-35の消息を訊ねてみた。
「ああ、あのイモムシみたいなやつね。確かまだ在った
と思うよ。今度持って来ようか」、信じられないご返答
である。確認のため作品の写真をお見せしたところ「そ
うそう、これだよ」とのお答え、しかし私はまだ半信半
疑であった。「俺の勘違いで、もう売れちゃってたよ」
という最悪の事態だって、考え得るではないか。個展が
開幕して数日後の来廊日、ゆうさんは「持って来たよ」
と、大きなレザーバッグから作品を取り出された。エア
クッションの包みを開けると、そこには紛れもないあの
BCS-35が居た。一度ならず二度も別れを余儀なくされ
て、今生最早、会う事もあるまいと思っていた幻の朋友
である。私はただ「ありがとうございます」とだけ申し
上げた。「支払いは、急がなくてもいいからさ」と、ゆ
うさんはにこやかに笑っている。至福のひと時だった。
以来BCS-35は、私のデスクの右脇に居る。やはり黄
土に染まる木箱の中で、じっと太古を憂えて動かない。
私はと言えばそこへ何気なく目を遣る度に、やはりダン
ゴムシの類いに弱い自分を再認識する。支払いは作家の
言葉に甘えて、遅れつつも済ませる事が出来た。困窮の
身、過分な出費に関しては、未だその事実を妻は知らな
い。店番に来た折に一度だけ「これ何?」と聞かれたの
で、「ゆうさんだよ」とだけ答えておいた。それ以上何
も聞いて来ないので、私も余計な事は言わないでいる。
毎日見続けている内に、こいつはいずれ動くだろうと思
えて来た。人知れずある日もぞもぞとうごめき出し、特
殊粘液でアクリル板の覆いを溶かし、悠然と木箱から這
い出るであろう。そうしたら私も、君をジャケットの中
に抱いて、誰知らぬ旅に出るよ、ゆうさんの魂と共に。
(14.03.20)