画廊通信 Vol.245 命の強度
絵画には、明らかに固有の強度がある。むろん、それは物理的な数値で測り得るものではなく、よって理論的な説明の困難な概念だが、そうではあるにせよ、やはりそれは紛う方なき現実として、見る者に否応のない力を伝える。例えば同じ壁面上に、複数の異なる作家の絵画を、一列に並置したとしよう。すると面白い事に、或る作品が他を圧倒する力を放ち、その作品の前だけが違う空気に満たされ、下手をしたらその作品だけが、視覚的にも前方に突出して見える、そんな不条理とも言える現象が、往々にして起こるものだ。より具体的に申し上げれば、毎年日本橋高島屋で開催されていた「稜の会」と
いう企画展があって、これは立軌会の選抜メンバー12
人によるグループ展なのだが、ここに我らが栗原さんも
毎年新作を出品されていた。会場に赴くと、大概は3~
4点の新作が壁に掛かっていたと記憶しているが、いつ
もそこで強烈な印象として実感された事は、栗原作品の
並ぶコーナーだけが、明瞭に空気感が異なるという事実
であった。これはあくまでも感覚的な経験だから、どう
違うかと問われても説明に窮するが、明らかにそこには
他作家とは別種の、凛と張り詰めた空気が満ち満ちてい
る。有り体に言えば、それは「本物」の品格とでも言う
べきものだったろうか、決して他作家を揶揄したり侮蔑
したりするつもりは無いが、この際だから正直に申し上
げれば、栗原一郎という画家の作品が同じ会場に在るお
かげで、同展が練達の画家ばかりの陣容であるにも拘わ
らず、失礼ながらほとんどの他作家が、未熟なアマチュ
アに見えてしまうのである。そのような、理屈を超えた
有無を言わせぬ強度を、一流の絵画は我知らずその身に
孕む、それは激甚の作風であるとか、荒々しい筆致であ
るとか、そんな表面上の要因から来るものではなく、お
そらくは画家という存在から自ずから滲み出る、表現の
「力」としか言いようの無いものだろう。今は亡き栗原
一郎という画家の、津々と放って尽きないこの比類なき
強度は、さて、絵画の何処から来るものなのだろうか。
かつて米倉守という評論家は、栗原さんの作風を「折
れ釘のような線と消しつぶした色」と表現した、言い得
て妙だと思う。続けて彼は、このように述べている──
「栗原の仕事には、インテリとか豊潤な画家とかを謀る
ような、もの欲しげな切なさの押し売りがない。色調の
たっぷりさ、思わせぶりな線で表される作品より、切な
く深いのである。野生と言ってもよい自らの無垢な感覚
を、主知や認識に売り渡してないところに、栗原の素晴
らしい表現があるのだと思う。(中略) これは美しい色彩
を散りばめ粉飾する事が、画家の天職と勘違いしてやっ
てきた画家たちには、到底表出し得ない世界だろう」、
ここで彼の強調する「線」と「色」とは、正に栗原さん
の作風を決定付ける最も重要なファクターであり、栗原
さんを好きな人なら誰もが知るように、それは他のどん
な画家にも一切類のない、栗原さん特有の表現と言える
ものだ。上記の引用は、ちょうど20年前に発刊された
画集に掲載されていたものだが、その後の度重なる入院
と闘病の中で、栗原さんの描線は大胆に変化した。「折
れ釘のような」と評された素朴にして力強い線は、まる
で自らに災いを齎すものに抗うかのように、より勢いを
増した奔放に乱舞する線へと変貌した。それは当初、絶
望の最中に惑乱した線のようにも見えたが、決してそう
ではなかった、「乱れる」事と「乱す」事が似て非なる
ものである事を、栗原さんの新たな描線は活き活きと語
っていた。時に荒々しく飛び跳ね、時にしなやかに画面
を滑る、そんな縦横無尽にして限りなく自由な線を、栗
原さんは敢えて「乱す」事で手中に収めたのだと思う。
それにしても、如何にも無造作に描きなぐったような一
本の線を、真に得心のゆく唯一の描線として画面に残す
までに、画家は一体幾本の描線を消し去った事だろう、
それが実は画家の自らに課した「乱す」という作業の、
偽らざる正体であったようにも思える。それほど、その
一見奔放にして自在な線は、的確であり絶妙であった。
次に、もう一つのファクターである「色」について。
栗原一郎という個性の、トレードマークとも言えるあの
色、前述の引用でそれは「消しつぶした色」と評されて
いたが、あの消しても消してもなお拭い切れないような
憂愁に染まる、独特の翳りを帯びた灰白色、それは決し
て均一に平坦に塗られているのではなく、諸処に特有の
汚しを掛けられて、霞むヴェールの向こうには更に何か
が潜むかのような、より奥行きのある情趣を醸し出すも
のだ。当初私は一見した印象から、画家はまず丹念にグ
レーの下地を作り、その上に種々のモチーフを描いてい
るのだと思っていた。それが全くの思い違いである事を
知ったのは、お付き合いをさせて頂くようになって数年
を経た頃だったろうか、何かの用事でアトリエに伺わせ
て頂いた折である。その日アトリエには、珍しく描きか
けのカンヴァスが置かれていた。まだあの豊かなグレー
には到らない、全体的に未だ白っぽい色彩の画面だった
が、既にそこにはモチーフの淡い描線が、手探りをする
かのように描かれていたのである。一瞥して、なるほど
と思った。つまりは栗原さんの制作において、グレーの
バックとそこに描かれるモチーフとは、決して別々のも
のでは無いのである。上につい「バック」と書いてしま
ったが、そのような言葉遣いそのものが、栗原さんの辞
書には無いのだ。その時私の脳裏には、以前栗原さんに
お聞きした言葉が有り有りと甦っていたのだが、画家は
確かにこう語っていたのである──「何も描いてない部
分を、皆は『余白』と言うだろう? 俺は余白を『描い
て』るんだ」、ちょうどこの時は、栗原さん特有の背景
について話していた折だったから、「余白を描く」とい
う画家の言葉は、私には背景を自ら評した比喩に思われ
た。ところが実際の制作を目にすると、画家の言葉は比
喩でも何でもなく、自らの制作を有りのままに語ったも
のだったのである。要するに、栗原さんの作画にはバッ
クとモチーフの区別は一切無い、全ては純粋に「絵画」
であり、故にあの汚しを掛けた灰白色も、描いたり消し
たりの作業の過程で、自ずから形成されるものなのだ。
だからこそあのグレーに霞む空間の奥には、何かが潜み
何かが孕まれているようにも感じられるのだろう、何し
ろそこは、かつて何かが描かれていた痕跡なのだから。
こうして、いみじくも「消しつぶした色」と評された
色彩が、画面上にその様相を現わす事になる訳だが、晩
年栗原さんは、突如色鮮やかなピンクを用いて、見る者
の度肝を抜いた。何せ今まで使った事も無いような、画
家の作風とは程遠い色だったから、初めて目にした時は
正直に申し上げて、驚愕したものである。「気が狂った
と思っただろう?」と、ご本人は涼しい顔をされていた
が、今にして思えば、それは闘い抜いた生涯の最後を飾
る、鮮やかに滾る夕陽であった。福生の街並みを見下ろ
す遥かな天空が、強烈なピンクに染められた風景を目に
した時、ああ、これは夕景なのだと思った。それは、沈
みゆく落陽が間際に見せる、迸る最後の輝きであった。
さてこの辺りで、冒頭の設問に戻ろうと思う。即ち、
栗原さんの絵画に特有のあの比類なき強度は、果たして
何処から来るものなのか。それは「線」であり「色」で
ある、その未だ類のない線と色が、類のない強度の要因
に他ならない──そう言えば、一応はその問いに答えた
事になるのかも知れないが、しかしそれだけで、他作家
の表現が小手先の遊戯にしか見えなくなるような、そん
な圧倒的なアウラが備わるものだろうか。もしや、線と
色が相俟って融合したその先に在るものこそが、真の答
えなのではないか、そんな思いを茫漠と脳裏に巡らせて
いたら、ふと或る日お聞きした画家の言葉が、また私の
中に甦って来た。その時はアトリエに掛けられた新作の
裸婦を前に、私は画家にこう訊ねたのである──「それ
ほど細かく描いている訳でもないのに、女性の肌の柔ら
かさが良く分かるのは、何故なんでしょう」、栗原さん
は間髪を容れず、こう答えられた──「そりゃあ随分と
触って来たからな。昔の美術学校では、裸婦デッサンを
やる前に、先生が生徒に聞いたものさ、『女を知らない
奴は居るか』ってね。手を上げた奴が居たら、直ぐに女
郎屋に連れて行ったもんだ。そうだろう? 女を触った
事もねえ奴が、女の裸を描けるかい」、そんな画家の言
葉に大笑いしつつ、これは栗原さん一流のジョークだと
私は思っていた、何しろ栗原さんのジョークは、いつも
惚れ惚れするほど当意即妙であったから。しかし、これ
も前例同様に、今はそうは思わない。この時もただ、画
家は自らの信念を、有りのままに語ってくれたのだと思
う。そしてそれは栗原一郎という画家の、最も根幹を成
す真髄を宿した言葉だったと、今ではそう解している。
「視覚だけでは絵は描けない。視覚以外のものを感じさ
せてこそ絵画じゃないか」、おそらく画家はそう言いた
かったのだ。むろん絵画とは、視覚表現に他ならない。
しかし、人間の感性は五感を孕む。よって真に優れた表
現による感性の揺動は、他の感覚をも勢い良く刺激して
揺り動かすだろう、だからこそ人は絵を見る時に、聞こ
える筈のない音を聞き、感じる筈のない香りを感じる。
中でも「触覚」は、物理的に「手で触る」事によって受
ける感覚だから、最も原初的でリアルなものだ。故に触
覚をダイレクトに刺激するような表現は、見る者に否応
の無いリアリティーを齎すだろう、栗原さんの描き出す
絵画は、正しくそのような表現なのだと思う。「触覚」
なんて言葉を使っていると、栗原さんに「気取ってんじ
ゃねえや」とドヤされそうだから、単に「手触り」と言
うべきか、この極めてリアルな迫真の手触りこそが、栗
原さんの絵画を栗原さんたらしめる、随一のファクター
なのではないか。それは言うまでもなく、あの「線」と
「色」との見事な融合から生起するものであり、先述し
た評家の言葉を借りれば「野生と言ってもよい自らの無
垢な感覚を、主知や認識に売り渡してないところに」し
か生まれ得ない、生きた血肉を喚起するリアリティーな
のである。言わば「存在の手触り」とでも言おうか、な
かんずく「生命の手触り」とでも言おうか、たとえその
モチーフが瓶やグラス、或いは建物や街灯といった非生
物であっても、栗原さんが描けばそこには命が宿った、
何でも人間だと思って描いてるんだ、という画家の言葉
通りに。そう、そこには確かな命の手触りが有って、時
には温かな血潮の温もりさえ感じられたものだ。そんな
絵画が展示会場に掛けられた時、他作家が唯の小綺麗な
飾り絵に見えてしまうのは、思えば当然の現象であった
に違いない。「博打だよ。俺は絵を描く事に、自分を賭
けたんだ」、そう言い切れる画家の覚悟こそが、他を圧
倒する命の手触りを生み出し、それはいつしか比類なき
強度を帯びて底光り、やがて有無を言わせぬ真実の絵画
が眼前に現れる、「本物」とはそのようなものだろう。
栗原さんが逝って3年が経った。しかし未だ私には、
画家の死というものが分からない。画家の魂魄はここに
在る。それは間違いなく「生きて」いる。生きる手触り
を、現に今も津々と伝えて止まない。ならば画家は死せ
ず、残された裸婦も、静物も、風景も、花も、全ては未
だその身に血潮を宿し、確かな命を漲らせるのだから。
(23.08.04)