画廊通信 Vol.139 花でしかありえぬために
4年ぶりの「新井知生展」である。2011年の春、「雨について語るべき事」と云うタイトルの下に開催さ
せて頂いたのが前回で、この詩的イメージをそこはかと
なく喚起する言葉は、今回の「通り過ぎる風景」同様、
作家ご本人によるものであった。思い返せば3月末の開
幕だったから、それは忘れもしないあの3・11の大震
災からわずか半月を経ただけの頃で、生々しい傷跡がま
だまだ重苦しく人心をむしばんでいた、ある種異状の世
相下における開催だった。ここ西千葉近辺も連日のよう
に計画停電が実施され、先の見えない唯でさえ暗い心境
に、更に光の無い物理的な暗闇も重なって、いよいよ暗
澹とただ無力に打ち沈むのみであった事を、まるで昨日
の事のように思い出す。その時は「アンナの光の先に」
と云う標題で画廊通信を書かせて頂いたのだが、その末
尾で当時の状況に対し、私はこんな所感を述べている。
実はこの原稿の多くを、私は薄暗い停電の机上で記し
た。ここまでお付き合い頂いた皆様もまた、それぞれに
不便を強いられている事と思う。今回の新井さんは遠く
島根の方だから、当然直接の被害などなかろうと思って
いたら、何と当日故あって都内におられたとの事、あの
混乱の渦中での帰路は、さぞや難事であったろう。この
度の惨事で改めて人間とは、自然という強大なまな板の
鯉でしかない事を思い知らされた。しかし無力な鯉だっ
て、あらがう意地ぐらいはあるのだ。普段と変りなく画
廊を開き続ける事、これだけが私に出来る唯一の抵抗で
ある。と格好のいい事を言いながら、そもそも悠長に休
める余裕など無いのが、実状ではあるのだけれど。確か
に今、大難の時である。しかし、こんな時だからこそ少
しでも芸術に触れたい、心に潤いを持ちたいとご来店さ
れる方も、必ずやいらっしゃる事と思う。その方々にこ
そ絵画の放つ声は、温かな励ましとなって届くだろう。
こんな事があってつくづく思う事は、芸術はそれだけで
希望である。たとえそれが絶望を語るにしても、優れた
芸術は必ずその内奥に希望を宿す。私は、元来芸術の持
つであろうその「光」を信じたい。それは、いかなる災
厄も決して消す事の出来ない、強靭な精神の光である。
この当時「芸術に何が出来るか」と云うまことしやか
な問いが、ウェブ上でも多く見られた。この設問は「生
きる意味は何か」と云う問いに似ている。言うまでもな
くこの発問の基盤には「生きる事には意味が有る」と云
う大前提があって、その上で「さてその意味とは何か」
と問う訳だから、そもそも生きると云う行為に意味など
無いのだとしたら、たちまち発問の基盤は崩れて、問い
そのものが意義を失う。同様に「芸術に何が出来るか」
と云う設問の底には「この究極の惨事において、芸術に
も役立てるべき力が有る」と云う前提が潜む。それに答
えるかのように、諸処数多の画廊では「震災復興支援」
なる題号が、一時は雨後のタケノコの如く頻繁に用いら
れたが、私はその言葉を安易に冠する事を控えた。何の
事はない、自身の復興で精一杯と云う身勝手な事情が第
一だったが、加えてその題号に何か噓臭さを感じたから
である。有り体に言えば、何がしかの金を送りたいのな
ら黙って送れば良い、本当に被災地の復興に係わりたい
のなら、展示会など悠長に開いてないで、即刻現地に飛
んで瓦礫の一片でも拾うべきだと思った、むろん、何も
為さない私が言える事では無いにせよ。中には本当に真
摯の思いで活動した方も在ったと思うが、大方はそれで
芸術に関わる者として、役目を果した気になって事足れ
りとしたのではないか、そんな事で芸術が何かを為し得
たと納得されては、たまらないと思った。あの時に改め
て思い知らされた事は、あらゆる惨事を前に、芸術には
一片の瓦礫も拾えないと云う、至極当然の事実だった。
後日、新井さんはご自身のブログに「山口画廊での個展
の直前に東日本大震災が起こり、結局私自身が会場に行
けず、その間美術に携わることの意味を考えざるを得ま
せんでした」と前置きされた上で、このように記されて
いる。そこには芸術家としての率直な苦悩と、それでも
なお芸術家として生き往く人の、真率の決意があった。
私が感じたのはまずは無力感です。美術家が制作するの
は、兎にも角にもまずは自分自身の救済のためです。自
分がどれだけこの世界にあるべくしてある人間なのか、
それを制作を通して探すだけで精一杯、それさえも出来
るかどうか分らない所で、必死になってやっているとい
うのが真実だと思います。あえて言えば、他人の救済ど
ころではないのです。だから軽々しく「自分は被災地の
方を勇気づける」等と言うのではなく、まずは無力であ
る事を認識すべきだろうと思います。しかし、芸術にお
ける自分の救済とは、エゴや甘え、自分勝手な主張や物
語ではありません。「制作」を何らかの形で世界との融
合を図る行為とすれば、それは自分の身を引き裂き、骨
を切り、血を吐く、いわば自らに対する過酷な試練なし
には進めることのできないものだと私は考えます。制作
者は誰でも、自分と他者との見えざる関係の困難さに身
もだえしながら、作品を作った経験を持つでしょう。そ
れなしでは芸術としての核が生まれませんし、そういっ
た経緯から生まれる作品こそが、真に人間の存在を照ら
し出し、人間が人間としてあるべき姿、尊厳と希望を映
し出すのだと思います。そして、そうした真の作品だけ
が、鑑賞者へ生きる事の示唆を与え得ると思うのです。
今回のような未曾有の災害に直面し、人間としての尊厳
を持ち得ることが非常に難しい事態の中で、美術家が自
分の命を懸けて(大げさに言えば「引き換えにして」)
作り上げて来た作品こそが、見る人に生きる事の示唆を
もたらし、人間の尊厳を持ち続けるための力になれると
信じる他ありません。人間が芸術を持ち得たという事は
奇跡的に素晴らしい事であると信じつつ、自身の尊厳を
かけて、私はこれからも制作に向おうと思っています。
暫くの時を経た頃、私はこの場を借りて、石原吉郎と
云う人の詩をご紹介させて頂いた。ある画家のブログを
通して知った未知の一篇だったが、一読して何か異様な
気迫を感じた詩である。深い内省の中から、揺るぎない
決意を秘めて、厳しく立ち上がる言葉、私にはこのわず
か十数行の詩が、強大な暴虐を前にしてなお、芸術家と
して在る事の答えに思えた。調べてみるとこの詩人は、
戦後シベリヤの強制収容所に、8年もの間抑留された経
験を持つ人であった。だから「花であること」と題され
たこの詩の中で「花」という言葉の持つ本当の重みは、
私には決して分り得ない。おそらくは徹底して無抵抗で
脆弱な存在、否応なしに翻弄され、踏みにじられ、為す
すべもなく消えゆくもの……。さてここで今一度、先述
の言葉を自らに問うてみよう──芸術に何が出来るか。
一見この問いは、芸術の存在意義が問われる、困難な
設問に思える。しかしそもそも芸術とは、実用から離れ
た純粋な表現であった筈だ。とすれば、元来芸術に実用
的な価値はない。よって災害や戦争といった極度の暴力
の前で、芸術はあらがう一切の手だてを持たない。この
「何も出来ない」「何の役にも立たない」という覚悟か
ら、芸術は始まるのではないだろうか。作家はただひた
すらに役に立たないものを、命を削って作り上げ、世に
送り出す。それをどう受け止め、どう活かし、どう役立
てるのかは、徹底して受け手に委ねられている。芸術の
存在意義は、むしろ受け手が作りゆくものではないか。
ならば送り手である芸術家の為すべきは、せめて受け手
にまで響き到るような、強靭な「花」を咲かせる事だ。
強大な力に翻弄され、為すすべもなく蹂躙されてなお、
幾度も幾度もその下からよみがえり咲き直す、力ある一
輪の花を。上記の石原吉郎の詩を、再度ご紹介したい。
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は的確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
前回の個展が、どうしても震災を抜きには語れなかっ
たので、当時の状況に多少とも触れた後に、作品の話に
移ろうかと考えていたのだけれど、つい長々と書き綴る
成行きとなってしまった。あの時あの状況下で、作品を
買ってくれたお客様の豊かな心を、そして芸術に寄せる
愛を、私は忘れない。加えて個展に前後して、画廊でコ
レクションしていた作品も一挙に放出させて頂いたのだ
が、その折も数多いお客様に、一方ならぬお世話になっ
た。あの時あのお客様一人一人の、心温まる真心のご協
力が無ければ、こんな弱小画廊、とっくに消え去ってい
た。今更ながらではあるが、この場をお借りして、深く
深く皆様に謝意を表したい。ありがとうございました。
さて肝要のお話に移ろうと思った頃には、最早紙面も
残り少ないようである。でもこれはある意味、絶対抽象
である新井さんの世界に、解説を加えると云う愚挙を、
今回は最小限に抑えられると云う事かも知れない。そも
そも抽象であれ具象であれ、そこに創った人間が居て、
その精神が宿る事に何ら変りは無いのだが、ただ一点、
新井さんが特異なスタンスに立つのは、芸術表現では自
明の理であった「個性の表出」を離れて、逆に「個性の
溶解」を目指すと云う点においてである。言うまでもな
く抽象表現は、具象表現のように何らかの形象を通して
自己を表すのではなく、自己を直接にフォルムとして描
き出す訳だから、そこにはあからさまに個性が顕現され
てしまう。しかし新井さんの眼は、その個性の深層へ向
うよりはむしろ、個性の主体としての自己が、自らを取
り巻く外界へと溶けゆく、あるいは消えゆくその境域を
見つめる。あわい──とでも言うべきか、自分であって
同時に自分ではない、内界と外界の間に模糊として広が
るだろう、例えるなら「汽水域」のような柔らかに流動
する領域、その茫漠と不可思議に揺らぐ時空こそが、新
井さんのフィールドだ。作家はこのように語っている。
「私にとって絵画とは、世界につながるための『媒体=
通路』のようなものです。だから制作の時には、予知で
きるものと未知のもの、作為することと無作為にできて
しまうもの、そんな自己と外界との交感や葛藤を、その
生きた感覚のままに映し出したい、そう考えています」
あの底知れぬ不安に覆われ、全てが殺伐とした廃墟に
見えた時分、小さな画廊の扉を開けたその先には、限り
なく自由なもう一つの世界が在った。その柔らかな時空
に包まれて居ると、いつか重い鎖がゆったりと溶けゆく
ようで、却ってこの不確かな領域こそが、何者にも翻弄
されない確かな世界に思えた。思うにそれは芸術と云う
奇跡だけが創り得る、最も強靭なる花達の園であった。
(15.04.16)