粥 (2011)    ※中西和画集「素」より
粥 (2011)    ※中西和画集「素」より

画廊通信 Vol.125        山房にて桜花を臨む

 

 

 鎌倉市、報国寺。無粋ゆえ幾度も門前を走りながら、

未だ一度も訪ねた事は無いのだが、聞けば美しい竹林で

知られる、臨済宗の名刹である。調べてみると1334

年の創建とされているから、もはや忘れかけた学生の時

分、「1333(いちみさんざん)鎌倉幕府」と覚えた

北条氏滅亡の翌年、後醍醐天皇がいわゆる建武の新政を

開始した頃に当り、計算すれば680年にもなんなんと

する歳月を経て今に到る、誠に由緒ある古寺である。

 八幡宮前を右に折れて204号線をしばらく進み、そ

の名も報国寺前という信号を右折すれば、直ぐにも目指

す古刹へと到る訳だが、その門前を過ぎてしばらく行く

と、ほとんど冗談ではないかと思えるような急勾配の、

険しい坂道が現れる。車の運転席から眺めると、絶壁の

ようにも見える急坂を前に一呼吸おいて、おもむろにギ

ヤをLOWにシフトダウンし、アクセルを踏み込んで一

気に駆け上がると、そこが中西さんのアトリエである。

山林を拓いたと思われる山の中腹、瀟洒な庭のある古い

家屋で、仙郷の山房といった趣である。忘れもしない昨

年の早春、「仕事場を別に造ったので、そちらに作品を

取りに来て欲しい」というご要望で、初めてその新しい

工房に伺う運びとなったのだが、その時は私も車を買い

替えたばかりで、新車では初めての遠出であった。

 アトリエの前に着いたまでは、何の問題も無かったの

である。細い上り坂に面して、車2台分程のスペースが

設けられ、道とは直角に駐車するようになっているのだ

が、そこに車を入れようとした際、私は久々にかつて自

動車免許を取った折の、教習所的な恐怖を味わう破目と

なった。何しろ駐車場前の道幅が狭く、それに加え、以

前の乗り馴れた車よりも新車の幅が広かった事もあり、

どうしても旨く入れられないのである。何度もハンドル

を切り返している内に、何故か駐車場脇のフェンスにど

んどん近付いてしまい、仕舞いにはフェンス脇に植えて

あった庭木を無惨にもバリバリと踏み倒し、フェンスの

鉄柱との距離が、わずか1cm程にまで接近してしまっ

た。万事休して脂汗を流していたら、そのただならぬ事

態を察知した中西さんが出て来てくれて、適切な誘導を

してくれたから脱し得たものの、もし私一人だったら、

新車のドアに取り返しの付かない擦傷を刻み込んだ上、

フェンスまでなぎ倒し兼ねなかった。私は自分の運転を

「旨い」と思った事は一度も無いが、でもまあ、人並み

の技術ぐらいは持ち合せているだろうと、単純に思い込

んでいたのである。それが何と、明らかに「下手」では

ないか。私はその日一挙に自信を喪失し、それだけなら

苦い思い出程度で事は済んだのだろうが、その経験がい

つしか心的外傷として刻印されてしまったらしく、おか

げで更なる悲劇を引き起す運びとなった。思い出したく

も無いのだけれど、逃避は更なるトラウマを招くだけら

しいので、今一度その悪夢をここに再現してみたい。

 

 時はそれから一ヶ月後、4月の初めである。春の雨の

朝、私は展示会を終えて、アトリエを再訪した。この日

は、リフォームのため職人さんが2人ほど来ていて、2

台分の駐車場が既に埋まっていたので、私は路上に車を

停めて、作品を運び降ろす成り行きとなった。そこまで

は、何の問題も無かったのである。しばし歓談の後、辞

去となり車に戻ったのだが、むろんそのままでは帰れな

いので、車を方向転換しなくてはならない。そこで駐車

中の1台にしばし出てもらい、その空いたスペースでU

ターンする事となった。ところがどっこい、つい先日同

じ場所で、大変な窮地に陥ったばかりなのだ、その恐怖

のトラウマが立ち所によみがえって来て、車を入れよう

とハンドルを切ってはみたものの、初めから怯えまくっ

ているものだから、どうにも旨く入れられない。早くも

脂汗を流しつつ、恥ずかしさの余りニヤついていたら、

見るに見兼ねたもう一人の職人さんも、駐車場から車を

出してくれた。これで2台分が空いて、駐車場はガラ空

きになった訳である。その余裕のスペースで、私はゆっ

たりとUターンすれば良い、簡単な事だ──そう思った

のだが、事はそうは運ばなかった。

 ここで今一度、現場の見取り図を確認してみよう。ま

ずは駐車場がある。その前の路上には、方向転換をしよ

うとしている私の車、たぶんそれだけなら、事は旨く運

んだのだ。ところが私の車の登り上方には、駐車場を出

てくれた車2台が、縦列で待機してくれている。そして

当然の事ながら、各々の運転席では職人さんが、私の動

静をじっと見守っている……という状況下、元々小心ゆ

え緊張してしまったらしく、車をバックで駐車場に入れ

た瞬間、後方でガラガラガシャーン!という音が、けた

たましく鳴り響いた。まずい、と思って慌てて車を降り

て見たら、何とバックし過ぎて後ろの竹垣に激突し、一

部を壊してしまっているではないか。こういった場合、

一旦車を出して路上に停めて後、そこにまた戻って、壊

した箇所を直すというのが普通だろう。しかし何を思っ

たか私は、アトリエの中西さんを「すみませ~ん」と呼

び出し、何事かと出て来られた作家に「車を下げ過ぎて

壊しちゃいました」と報告し、「いいです、大丈夫。ど

うせ仮の垣根だから」というお言葉に甘え、「申し訳あ

りませんでした」とだけ言い置いて、「何をやってるん

だ、こいつは」という呆れ顔で見ている職人さんに一礼

し、そのまま車をバオ~ンと発進して帰ってしまった。

 それからしばらくは、茫然自失の状態で運転していた

のだが、徐々に気持ちが落ち着いて来てみると、どう考

えても先刻の私の行動は、竹垣を壊したままで逃げたと

しか云いようのない、弁明の余地なき愚行ではないか。

きっとさっきの職人さん達も「なんて奴だ、あいつは」

と、憤慨しているに違いない。人非人──という言葉が

脳裏に浮ぶに及んで、私は思わず画家に電話を入れた。

「先ほどはそのままにして帰ってしまい、すみませんで

した」「いいです、気にしないで下さい」と、気持ちよ

くお許し頂けたものの、壊したままのうのうと帰る馬鹿

が何処に居るか、俺は絶対に軽蔑されただろう、たわけ

者ここに極まれり、画廊通信あたりで散々知ったような

事を偉そうに書き散らしながら、その実ただの大馬鹿で

はないか、ああ、このままどっかに突っ込んでしまおう

か……、とまでは思わなかったが、自己に深く失望落胆

しつつ、首都高速を暗澹と帰り来たのであった。人間、

気が動転したら、何をやらかすか分らない──その日、

身を以て知った、心根に刻み置くべき教訓である。

 

 閑話休題、くだらない失敗談で随分と誌面を使ってし

まったので、急ぎ中西さんの芸術に、話を切り替えよう

と思う。いつも展示会に臨んで、そのタイトルをあれこ

れと考える破目になるのだが、今回の「諸行拝礼」とい

うタイトルも、私なりに頭を絞った末に考え付いたもの

である。「諸行」とは万物の事、「拝礼」とは頭を下げ

て礼する事、両者をつなげれば、この世のあらゆる物に

心より礼する──とでも云うような意になるだろうか。

 中西さんは、およそあらゆる「物」を描く人である。

野菜や果実・野の花といった四季の風物に始まり、碗や

壺・様々な器物等ごく日常的な調度、あるいは炭や柴・

石塊等々、通常絵の題材としては顧みられない物まで、

有情・非情にかかわらず、押しなべて同等に描き出す。

「画家は秤(はかり)でなくてはならない」とは、中西

さんの弁である。「秤の上に何を載せたとしても、重さ

を量る事が出来る。画家もまた、そうあるべきだ。目前

に何が在ったとしても、それを描ける者でありたい」、

その言葉通り中西さんは、正に世の有りと有る物を描き

出して来た。そして、どの作品を見てもそこに共通して

感じられる事は、どんなモチーフであれ中西さんに描か

れた「物」には、必ずや何かある「尊さ」が宿るという

事である。例えそれが一本の大根であっても、一房の稲

穂であっても、一束の素麺であっても、あるいは一個の

毛糸玉であっても、そこからは何故かしら見る者を一礼

させずにはおかない、温かな恵みと慈しみが滲み出す。

 いつの個展だったろうか、一巻きの蚊取り線香を描い

た作品が出品された事があった。ありふれた金属製の線

香立てに、例の渦巻状の線香が据えられ、一筋の微かな

煙が中空に揺らめく図である。取るに足らないこの極め

て卑近な日常が、しかし何と幽玄な寂静の気韻を湛えて

いた事か。またある時は、一碗の粥(かゆ)を描いた作

品があった。清楚な白粥一碗、唯それだけの図。私はこ

の作品を目にした瞬間、急病で入院を余儀なくされて、

それは一ヶ月以上の絶食を伴うものだったが、ようやく

退院となって帰宅した際に戴いた(それは正に『戴く』

と形容する他ない体験だった)、一碗のお粥の温もりを

思い出した。それは温かな慈愛が心に染み渡るような、

誠にありがたい一碗だった。その時私は、幸せは一碗の

粥に足りると、本気でそう思ったのだが、中西さんの絵

を見て、そのささやかな体験が彷彿と甦るようだった。

黙して佇む一碗の粥、そこには質実な感謝の光が、また

何と静かに、そして豊かに満ち溢れていた事だろう。

 以上はほんの一例だが、私は中西さんの絵を前にする

と、いつしか居住まいを正し、一礼している自分を見出

す。当初はそれが不思議でならず(今だってその不思議

は消えないけれど)、描かれた一本の独活(うど)の前

で、しきりに首を傾げたりしたものだが、結局のところ

それは、作家自身が取るに足らない一本の独活に、居住

まいを正し、一礼をしているからだと、思うに到った。

「そんな事はありません。僕はただ描いているだけです

から…」という作家の声が、早くも私の耳に届いて来る

けれど、中西さんを知る人なら分る、その快刀乱麻を断

つが如き、風発の談論に人は魅せられるが、しかし自ら

に関しては実に謙虚の人であり、大仰を嫌う人なのだ。

今回の「諸行拝礼」というタイトルにしても、きっと好

ましいものでは無いに違いない。「何を、大げさな…」

と思われている事だろう。しかし、そう形容する他ない

ものが、中西さんの芸術には確かに在るのだ。

 毎年立春の頃になると、案内状の写真撮影のため、中

西さんの新作が送られて来る。梱包を解いて作品を取り

出すと、私はいつも「ああ、中西さんの季節が来たな」

と思う。そしてあの何か澄み渡るような魂が、静かに心

に染みゆくのを感じる。中西さんの芸術は、この世には

確かに、敬い仰ぎ見る何かが在る事を、そしてそれは何

も深遠の彼方に在るのではなく、ごくありふれた日常に

こそ宿る事を、穏やかな沈黙の内に語って已まない。

 

 過日、あの竹垣を破壊する事になる直前に、画家は私

を庭の端へといざなってくれた。そこからは谷間の道を

隔てて、向い側の山々が一望出来た。「ほら、山桜が見

えるでしょう」、青々とした新緑の諸処に、清麗な白い

花々が、楚々として顔を見せている。それは折からの柔

らかな春雨に煙って、大気を匂やかに染め上げるようで

ある。緑なす山々、瀟洒な山房、春の雨、山桜……、そ

こは正に、中西さんの世界そのものであった。山房にて

桜花を臨む──そんな幽遠の風情も束の間、事は前述の

失態へと到った訳だが、来週私はまた凝りもせず、鎌倉

のアトリエに伺う予定である。今度こそあのトラウマを

払拭し、我車を滞りなく駐車させて、山桜にはまだ少し

早いとしても、ひと時は浮世の瑣事を離れ、浩然として

あの山深い仙郷に、遊びたいとは思うのだけれど。

 

                    (14.02.21)